星野仙一が「人生でいちばん、誰よりも強く抱きしめた日」――赤星憲広が明かす阪神18年ぶりVの舞台裏【インタビュー後編】
執筆者: ノンフィクションライター/長谷川 晶一

満身創痍のまま、わずか2年で退団
しかし、歓喜の余韻の直後、チームに激震が走る。星野が体調不良を理由に、この年の日本シリーズ限りで退任するという報道が流れたのである。シーズン中の7月27日にはナゴヤドーム(現・バンテリンドーム)での試合中に嘔吐し、ベンチ裏から指示を出していた星野。その満身創痍の姿を、選手たちは誰もが記憶していた。
「この年のシーズン中には、試合中にベンチの裏で倒れたこともありました。身体を酷使していたことは選手みんなわかっていましたから、“なぜ、このタイミングでの退任発表なのか?”とは、誰も思わなかったはず。僕自身も、あれだけ弱かったチームをこうやって強くしてくれた星野監督に、最後に日本一をプレゼントして終わりたいという気持ちが増したのは確かだし、実際にチーム一丸となって戦ったことをすごく覚えているので、チームとしては一つになれたと思います」
しかし、福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)との日本シリーズは、両チームがそれぞれの本拠地で勝利を挙げ、3勝4敗で幕を閉じる。お互いに敵地で一度も勝てない「内弁慶シリーズ」である。その敗因を、赤星は自身の不調に求めている。
「間違いなく僕の不調のせいです。このシーズンは一番・今岡(誠/現・真訪)さん、二番の僕、三番の金本(知憲)さんという3人の連動が得点につながっていましたが、このシリーズでは二番の僕で分断してしまったので、ものすごく責任を感じています。打てなかったことももちろんそうですし、最初のズレータの打球を追ってダイブして捕れなかったときに肩と首を痛めてしまった。そんなことは言い訳にしかならないんですけど、星野さんを日本一の監督にしたいと思って日本シリーズに臨んだにもかかわらず、まったく実力を発揮できませんでした……」
冷静に振り返れば、当時のホークス打線は100打点以上を4人も擁する圧倒的な攻撃力を誇り、前評判以上に戦力差はあった。しかし、憧れの指揮官に悲願の「日本一」を届けることができなかった悔しさは、今も赤星の心に深い澱を残したままである。
「ここまでチームを強く変えてくれた星野監督に、一度も経験していない日本一を、なんとか達成して送り出したいという気持ちが強かった分、結果が出なかった自分に対して不甲斐なさをすごく感じていました。大事なところで優勝を決めて、日本シリーズでも勝って日本一になっていれば、星野監督と最高のエンディングを迎えられるはずだったのに……。最後の最後で恩返しできなかった。その心残りは、今もずっと残ったままですね」
劇的なサヨナラ打の栄光。そのきらめきの裏側で、赤星の胸の内には今でも「未完の恩返し」という心残りがずっと燻り続けているという。
この記事を書いた人
1970年生まれ。早稲田大学卒業後に出版社へ入社し、女子高生雑誌『Cawaii!』などのファッション誌の編集に携わる。2003年からフリーに。ノンフィクションライターとして活動しながら、プロ野球12 球団すべてのファンクラブに入会する「12 球団ファンクラブ評論家®」としての顔も持つ。熱狂的な東京ヤクルトスワローズファンとしても知られ、神宮球場でのホームゲームには全試合駆けつける。単行本が7刷となり文庫化もされている『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(単行本:インプレス、文庫:双葉社)をはじめ、ヤクルト関連の著書・連載多数。スポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)にも定期的に寄稿中。日本文藝家協会会員。
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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