今岡真訪「星野さんは救世主だった」阪神優勝を支えた“闘将”との知られざる関係
執筆者: ノンフィクションライター/長谷川 晶一

現役時代には「燃える男」と称され、監督時代には「闘将」と呼ばれた星野仙一が天に召されてすでに8年が経過した。昭和、平成を代表する野球人である一方、優しさと厳しさ、飴と鞭を巧みに使い分けた人心掌握術は、現在の観点から見れば、行きすぎた「根性野球」「精神野球」といった側面がクローズアップされたり、選手たちへの鉄拳制裁が問題視されたりすることもある。
「クビ寸前だった」今岡真訪を救った星野仙一の一言…阪神V戦士が明かす“闘将”の素顔
一体、星野仙一とはどんな人物だったのか? 彼が球界に遺したものとは何だったのか? 彼の実像を探るべく、生前の彼をよく知る者たちを訪ね歩くことにした。彼らの口から語られる「星野像」は、パブリックイメージ通りである一方で、それとは異なる意外な一面もあった。「星野仙一」のリアルに迫りたい——。連載第10回は、星野が阪神監督に就任した後にその才能を開花させ、主軸を担った今岡誠(現・真訪)に話を聞いた。【今岡真訪インタビュー全2回の2回目/第1回を読む】

野村克也監督時代の閉塞感
2007(平成19)年に発売された、星野仙一の自著『星野流』(世界文化社)の中では、今岡誠についての言及がある。そこには、星野が阪神タイガースの監督に就任する直前、前体制の首脳陣から聞かされていた今岡の「不評」が赤裸々に綴られていた。
《やる気がないの暗いだの、淡泊でガッツがない、積極性がないと、タイガースに行く前はさんざん不評を聞かされていた》
しかし、星野が実際にキャンプで目にした今岡の姿は、それとは正反対のものだった。誰よりも野球に真摯に向き合い、一球一球に意図を持って真剣にバットを振る男がそこにいた。星野は周囲のコーチ陣に「おい、話が違うじゃあないか」と詰め寄ったという。この星野の記述をぶつけると、今岡は当時の複雑な胸中を静かに語り出した。

「あのね、それこそ実社会でも同じだと思うんです。環境が完全にアウェーだと感じたら、人間は逆に動かなくなりますよ。“やれ”と言われたことすらやらなくなる。もともとの性格もありますけど、反発というか、やる気も起きないし、正直“あんたなんかに言われたくない”という上司がいたならば、何を言われても右から左なんです。“あなたの下だからやらない”という心理は、どんな組織にだっていっぱいあるじゃないですか」
今岡は野村克也監督時代の3年間を「前体制への批判や否定ではない」と前置きした上で、当時の閉塞した空気感をこう振り返る。
「野村さんのときからいたコーチたちとは、正直、まともに話をしたこともなかったです。だって、コーチたちはみんな野村さんの顔色しか見ていない。“どっちを向いて仕事をしてるんだよ”という話でね。選手のほうではなく、常にボスの顔しか見ていないコーチの言うことを、選手が聞く意味がありますか。これは彼らをバカにしているわけじゃなくて、“当時はそういう環境だった”という説明なんです」
そんなアウェーの環境から、星野の就任によって一気に風向きが変わった。星野は今岡という人間の本質を見抜き、グラウンドで素直に自分を出せる環境を整えた。今岡の覚醒の時期が、すぐそこまでやってきていた。
この記事を書いた人
1970年生まれ。早稲田大学卒業後に出版社へ入社し、女子高生雑誌『Cawaii!』などのファッション誌の編集に携わる。2003年からフリーに。ノンフィクションライターとして活動しながら、プロ野球12 球団すべてのファンクラブに入会する「12 球団ファンクラブ評論家®」としての顔も持つ。熱狂的な東京ヤクルトスワローズファンとしても知られ、神宮球場でのホームゲームには全試合駆けつける。単行本が7刷となり文庫化もされている『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(単行本:インプレス、文庫:双葉社)をはじめ、ヤクルト関連の著書・連載多数。スポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)にも定期的に寄稿中。日本文藝家協会会員。
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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