今岡真訪「星野さんは救世主だった」阪神優勝を支えた“闘将”との知られざる関係
執筆者: ノンフィクションライター/長谷川 晶一

03年優勝、日本シリーズ直前の退任発表
グラウンドを離れた、誰も見ていないところでの星野仙一は、常に死線と隣り合わせにいるように見えた。当時のタイガースのベンチ裏を知る者たちの間では、指揮官の血圧が急激に上昇し、いつ倒れてもおかしくないほど満身創痍だったことは周知の事実だった。今岡もまた、当時の闘将のただならぬ気配を肌で感じていた。
「試合の途中でね、ベンチから星野監督がいなくなることは何度かありました。裏で倒れて、トレーナーのケアを受けていたんです。でも、僕らにとってそれ以上に大きかったのは、あの03年の日本シリーズ直前に飛び込んできた、電撃退任のニュースでした。それを知ったときのショックは、いまだに鮮明に思い出せます。本当に“ええっ?!”と言ったきり、言葉が出ませんでしたから」
リーグ優勝を果たし、さあこれから福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)との日本シリーズへ挑むという狂騒の最中。選手たちですら寝耳に水だった退陣の報に、チームは大きく揺れた。マスコミの誤報であってくれ——。そんな願いを抱くだけだった。
「なんとなく、“本当にやめるんだろうな”と思いました。“体調が厳しいんだろうな”という心配よりも、とにかく“ああ、来年はもう、星野監督はここにいないんだな”という事実を突きつけられたことへの動揺です。あの日本シリーズは結果的に3勝4敗で敗れたけど、もし星野監督の退任発表がシリーズ前になかったら、僕らは勝っていた気がします」
ファンも、そして選手たちも、「これが星野監督の最後の姿になる」という共通の思いを胸に戦況を見つめていた。かつて中日ドラゴンズを率いて2度リーグを制しながらも、一度としてつかめなかった「日本一」の栄冠。その置き土産を指揮官の手につかませるための死闘だった。
「星野監督を日本一に、という思いは当然ありました。けれども、僕らは敗れてしまった。星野監督に《日本一》を届けることはできなかった……」
この記事を書いた人
1970年生まれ。早稲田大学卒業後に出版社へ入社し、女子高生雑誌『Cawaii!』などのファッション誌の編集に携わる。2003年からフリーに。ノンフィクションライターとして活動しながら、プロ野球12 球団すべてのファンクラブに入会する「12 球団ファンクラブ評論家®」としての顔も持つ。熱狂的な東京ヤクルトスワローズファンとしても知られ、神宮球場でのホームゲームには全試合駆けつける。単行本が7刷となり文庫化もされている『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(単行本:インプレス、文庫:双葉社)をはじめ、ヤクルト関連の著書・連載多数。スポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)にも定期的に寄稿中。日本文藝家協会会員。
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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