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連載真説 星野仙一 ~誰も知らない“鉄拳制裁”の裏側~

【日本一失敗を語れる男】GG佐藤の唯一の後悔は落球したことではなかった…星野監督の「不器用な愛」を裏切った決戦前の準備不足

執筆者: ノンフィクションライター/長谷川 晶一

星野が監督を務めた2008年北京五輪の際に主力として共に戦ったGG佐藤

「星野さんをひと言でいうなら、『弱い人』……」

 救われる思いだった。ようやく、胸のつかえがとれた気がした。さらに、あの夏から5年が経過した2013年のことである。このとき、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任していた星野と、千葉ロッテマリーンズに移籍していたGGは仙台で、「あの夏」以来初めて対面する。

「試合前、星野さんが報道陣に囲まれていた中で、意を決してあいさつに行きました。怒られるか、無視されるか、最悪の事態を覚悟して。そうしたら星野監督は、“おいGG、今日もいつものエラー頼むぞ! そうすればうちが勝てるからな!”って笑い飛ばしてくれた。あの瞬間、張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れたような気がしました。心の底からホッとしました」

 それは、わずか1分足らずの出来事だった。しかし、わずかなやり取りに、手紙の返事がなかったことも、北京での悔恨も、すべてが溶けていった気がした。直接のメッセージではなくとも、あの冗談こそが、彼が受け取った星野からの許しだったのである。改めて、 GGに問うた。「星野仙一をひと言で表すとしたら?」と。少しの間、視線を宙に浮かせながら、GGはゆっくりと口を開いた。

GG佐藤が考える星野仙一とは?

星野が監督を務めた2008年北京五輪の際に主力として共に戦ったGG佐藤

「星野さんは、とても愛情深い人でした。でも、シャイな人だったから、それをうまく伝えることは下手だった。だからこそ虚勢を張り、計算し、ときに冷徹に見えることもあった。でも、それは彼自身が《強い人》ではなかったからじゃないかと思うんです。繊細で、周りの空気を読みすぎてしまうからこそ、ああやって自分を強く見せるしかなかった。その弱さも含めて、本当に人間らしい人だったと今は感じます」

 「北京五輪の戦犯」という代償は、GGに「組織とは何か?」「生きる目的とは何か?」という哲学的な問いを突きつけた。その後も真摯に「あの夏」と向き合い続け、そして、彼は一つの結論を得た。

「組織が目標だけを掲げても、その目的を見失えば、その組織は実はもろいもの。星野さんは常に、“金メダル以外はいらない”と言っていた。そこには、“何のために金メダルを獲るのか?”という目的がなかった。例えば、アテネ五輪の際に長嶋(茂雄)監督は“日本野球の伝道師になるんだ”と言い、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の栗山(英樹)監督は“一人でも多くの人に感動を届けよう”と宣言したといいます。そういう大義名分のようなものが、北京五輪にはなかった。そんな気がしています」

 「エラーをした張本人の僕が、こんなことを言うのも失礼ですけど……」と繰り返しつつ、GGはさらに続ける。

「もしも、何か大義名分があれば、準決勝に敗れた後でも、もう一度、銅メダルに向けてチーム全体で切り替えることができたはず。あの敗戦は、星野監督にとっても人生で初めての大きな挫折だったかもしれない。けれど、僕にとっては、あのエラーと星野さんの不器用な愛があったからこそ、今の自分がある。それは間違いないです」

 法政大学の先輩であり、北京五輪では打撃コーチも務めた田淵幸一に、「お前、あのエラーをネタにして、いろいろ稼いでいるらしいな」と茶化されている。今では「あの夏」を笑い飛ばせるようになった。星野とGGの一瞬の邂逅。2008年夏、北京の青空の下で両者は濃密な人間ドラマを演じたのである——。

(GG佐藤編・終わり)

Profile/GG佐藤(じーじー・さとう)
1978年8月9日生まれ、千葉県出身。桐蔭学園高校から法政大学を経て、2003年ドラフト7巡目で西武ライオンズに入団。登録名を「GG佐藤」とし、フルスイングを武器に長距離砲として台頭。07年からレギュラー起用が増え、翌08年には前半戦だけで20本塁打を放つなど大ブレイクを果たす。同年の北京五輪日本代表に選出されるも、準決勝、3位決定戦での失策により大きな試練を味わった。12年にイタリアリーグ、13年に千葉ロッテマリーンズを経て、14年に現役引退。引退後は野球評論家となり、「日本一失敗を語れる男」として、執筆や講演活動も精力的に行っている。

Profile/星野仙一(ほしの・せんいち)
1947年1月22日生まれ、岡山県出身。倉敷商業高校、明治大学を経て、68年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。気迫あふれるピッチングで、現役通算500試合に登板し、146勝121敗34セーブを記録。現役引退後はNHK解説者を経て、87~91年、96~2001年と二期にわたって古巣・ドラゴンズを率いる。02~03年は阪神タイガース、07~08年は日本代表、そして11~14年は東北楽天ゴールデンイーグルスで監督を務める。17年、野球殿堂入り。翌18年1月4日、70歳で天に召される。

インタビュー&文=長谷川晶一
撮影=大村聡志

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この記事を書いた人

1970年生まれ。早稲田大学卒業後に出版社へ入社し、女子高生雑誌『Cawaii!』などのファッション誌の編集に携わる。2003年からフリーに。ノンフィクションライターとして活動しながら、プロ野球12 球団すべてのファンクラブに入会する「12 球団ファンクラブ評論家®」としての顔も持つ。熱狂的な東京ヤクルトスワローズファンとしても知られ、神宮球場でのホームゲームには全試合駆けつける。単行本が7刷となり文庫化もされている『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(単行本:インプレス、文庫:双葉社)をはじめ、ヤクルト関連の著書・連載多数。スポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)にも定期的に寄稿中。日本文藝家協会会員。

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