45歳地下芸人の帝王、マヂカルラブリーの師匠…名だたる人気芸人が崇めるおじさん芸人、モダンタイムスとしみつ2万字独占インタビュー
執筆者: 編集者・ライター/佐々木 笑
“おもしろ”で好かれる川崎と、“おもしろ”で嫌われるとしみつ
──実際としさんは嫌われてるんですか?
嫌われてます。はっきり言えますよ。
──客観的に芸人さん同士の関係性を見ていると、としさんもなんだかんだ周りから愛されてるんだろうなと思っていて。
利用価値があるんじゃないですか? 芸人は損得勘定でやってますから(笑)。この人たちと一緒にいたらなんか楽しい、って気持ちもあるだろうけど、陰で悪口言うとしたらとしみつの名前が挙がる、みたいなことを聞いたことがあります。「やっぱとしみつムカつくよな」って。でも、野田とかもそうですけど、売れ切っちゃったら言わないですね。
──何が嫌われる原因なんですか?
結果、“おもしろ”を取るから。芸人としてはウケるから許すけど、それで損することもあるわけじゃないですか。無茶ぶりとかもそうです。俺はそういうことをやってくる奴なんですよ。それの連続だから嫌われるんでしょうね。
──それはプライベートでもやるんですか?
そうですね。仲良い女の子から「全員あんたのこと嫌いだよ」って言われたことがあります。
──ちなみにかわさんとは仲良く見えるんですが、実際はどうですか?
お笑いの話しかしてないです。プライベートの話をするときは、もうトークネタとして喋ってるんで。なので、仲いいかって聞かれると、仲良しの定義ってなんだろう?ってなっちゃうんですよ。別に、現場から一緒に帰ったり一緒に飯食ったりもできるんですけど、話してる内容は全部お笑いの話、仕事の話なんで。
──今ではビジネスパートナーという感じなんでしょうか。ちなみにかわさんからは好かれていると思いますか?
仕事として「利用してる」が近いんじゃないですかね?
──ちなみに、としさんと何度かお会いさせていただいている私から見た印象なんですが、ヤバい人とまともな人の中間にいるような感じがするんです。ギョッとする面もあれば、良識的な面もありますし。
どっちかを演じるみたいなことなのかもしれないですよね。今はこっちを演じたほうがウケるぞ、とか、ここでヤバい奴演じたら仕事なくなるわ、とか。でも、その加減がわからなくても芸人って武器になるんですよね。「なんもわかってねえな!」ってツッコミどころが生まれたり。
──としさんが思う、ギリ許される悪いことってなんですか?
信号無視、立ちション、コンビニで傘を取り替える……最後のはアウトなのかな? 要は仕事がなくなるかどうかが境界線な気がします。たとえば、不倫とかって絶対仕事なくなるってわかるのになんでやるんだろうって。
──その考えでいけば、確かに立ちションしても仕事はなくならなそうですね。
「すみません、我慢できなかったんです。でも一応水撒いたんすよぉ!」とか、「傘……取り替えたかもしれないですねぇ……。綺麗だったんですよねぇ」とかね(笑)。
お笑いのきっかけは夕方4時からのとんねるず
──どんなことが得意でしたか?
学生時代は、勉強もスポーツも全部ダメでしたね。部活に入らなきゃダメみたいな空気があったから、全然やりたくなかったけど野球やったり、サッカーやったりしたけどすぐ幽霊部員になって。高校も、本当はバイトをしたかったんですけど、なんかバイトも全部ちゃんと落ちて、結局テニス部の幽霊部員になりました。
──これは好きだったなと思う教科はありました?
いや、全部嫌いでした。一応一回全教科ちゃんと取り組んだんですけど、そのときの点数が全部50点ぐらいだったんですよ。で、こんだけ勉強して50点しか取れないなら才能ねえなと思って、勉強やめたんです。中学一年生の一発目の中間テストでしたね。あれって勉強さえすれば誰もがいい点数取れるじゃないですか。
あと、先生がよく授業で「ここテストに出るぞ〜」って言うじゃないですか。それを俺は、子供の頃からずっとすげえ不満に思ってたんですよ。それ言っちゃダメじゃん、って。
──ひねくれてる。
そんなこと言ったらテストにならねえだろってずっと思ってて、聞かなかったんですよ。それに腹立ってた記憶があります。
──エンタメは好きでしたか?
漫画もテレビも好きでしたけど、それこそ、初めて見た『とんねるずのみなさんのおかげです』が、お笑いをやるきっかけです。
当時は『ひょうきん族』があって、『ダウンタウンのごっつええ感じ』があって、フジテレビ全盛期だったんです。けど、弘前(青森)ってフジテレビが映らないんですよ。だから、夕方の4時から連日フジのバラエティが再放送で流れてたんです。それが衝撃的で。毎日おもしろい番組やってるけど、なんなんだこれは?って。とんねるずが小学生くらいで、ダウンタウンが中学生くらいで、その頃からお笑いをやりたいなと思うようになってました。
──小学生の頃から芸人になりたかった人って、実は意外と少ないように感じています。
今でこそ“芸人”って言葉になってますけど、当時とんねるずが全盛期の頃なんかは、芸人!って感じじゃなくて、お笑いやりたい、コントやりたいみたいな感じでしたね。だから俺らは、漫才よりコントのイメージのほうが強いです。
──ほかに好きなエンタメはありましたか?
小学生当初は家が金持ちだったんで、早い段階でファミコンもありましたね。
──当初?
もともと金持ちだったんですけど、バブルが弾ける前に親が事業に失敗して貧乏になりました。
──それが原因で、お父様があまり好きではない?
親父はもともと育児放棄してたんで。まあ今思えば、そのあと事業失敗して心折れて、引きこもりみたいになってたんだろうなって。でも子供心では理解できなくてっていう感じですね。
──ご兄弟は3人いるんですよね。
そうです。一番上の姉ちゃんは、早い段階で家族から一抜けしたんですよ。本当は大学行きたかったんじゃないかなと思うんですけど、家が傾き始めた頃と重なったんですぐ東京行っちゃったんですよ。兄弟仲も悪いから、詳しい話をしたことがなくてわからないんですけど。
二人きりで話すときは、今でも津軽弁
──かわさんとの出会いは?
小学校3年生のときにアイツが転校生してきて、前後の席になったんです。かわさんはよく「金持ち時代のとしさんは権力があったから俺をいじめてた」って言うんですけど、これはアイツの盛り癖です。俺にボコボコにされたことから始まった……とかよく言うんですけど、なわけねえだろと(笑)。
──実際、実家の裕福さによって性格は変わるものでしたか?
そうですね。金持ち時代は本当に余裕あったと思いますね。そのあと、母ちゃんが働き始めたり、買い物行くたびに言われてた「好きなもの買っていいよ」がいつの間にか言われなくなったりして、明らかに金ねえなこの家っていうのがわかってきて。
──もしかして、余裕があるときはひねくれてなかったんですか?
ひねくれてなかったと思います。いじめられてても「別に金あるし」みたいな(笑)。かわさんとは貧乏になってから仲良くなりました。
──けっこう仲良かったんですか?
けっこう仲良かったです。芸歴でいうと今もう24年目になるのかな。
──上京したのは?
18歳のとき、かわさんと二人で「東京でお笑いやろう」って上京したんですけど、お笑いをスタートしたのは22歳のときなんですよ。
──その4年間は何を?
当時はスマホとかもないですし、 どうやってお笑いでデビューすればいいのかがわからなかったんですよね。で、当時あった『ぴあ』っていう雑誌の後ろにライブ情報みたいなのが書いてあって、そこに電話してインディーズライブに出るような時代だったんです。 電話したとて、当時はライブに出るためのネタ見せもあったからライブすら全然出れなくて。それが4年間続きました。とにかくどうしていいかわからないし、標準語も喋れないし。
──生活面で一番苦労したことってなんですか?
言葉ですね。俺とかわさんが津軽弁で話してるときは、もっと早いんですよ。でも、標準語に直すと遅くなるから若干気持ち悪いんですよね。今はさすがに慣れましたけど、俺とかわさんの本当の間(ま)ではない。二人っきりで話すときは今でも津軽弁です。
──一番初めはどこに住んでたんですか?
蒲田です。18歳からコロナ禍前までずっと蒲田にいました。羽田の早朝バイトも近いですし。
──上京してよかったですか?
よかったですよ。今が一番楽しいですね。単純にお笑いの収入が上がったからだと思います。それこそ、こういう取材もありえないじゃないですか。45歳で上がり調子なのは本当にありがたいなと思います。
この記事を書いた人
主な仕事は芸人さんの取材や、書籍・コラムの編集など。本名通りお笑いが大好き。ライブは年間約200本、365日芸人さんの活躍を追っています。
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お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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