【プリクラの進化30年史】デカ目や美白美肌、全身撮影で「盛れる」を実現した機種を網羅解説
執筆者: ライター/佐藤隼秀
国内のプリントシール市場を独占するフリューが、2月上旬から興味深いキャンペーンを行っている。それが『AI歴代バズプリ』だ。この施策は、対象のプリ機で撮影した画像を、2010年代に大流行したプリ機の写りに寄せて加工できる試み。フリュー広報部の疋田裕貴さんは、「過去のプリ機を本格的に再現させるのは初めて」だという。
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『AI歴代バズプリ』でプリクラが懐かしい仕上がりに
かつて大人気だったプリ機が復刻
フリュー広報部・疋田さん「もともと過去のプリ機を復活させて欲しいという要望は一定数ありました。令和となった現在は、“プリを撮影する行為自体”が、平成文化を象徴するコンテンツになっており、それをエモくて懐かしいとプリを楽しむ人も増えているんです」
『AI歴代バズプリ』で採用されたのは、いずれも2010年代の筐体だが、プリントシールが誕生したのは1995年に遡る。この機会に、約30年の歴史を持つプリクラの変遷を辿りながら、当時のトレンドや流行った筐体を見ていこう。
最初は写真ではなく似顔絵
プリントシールが誕生したのは1995年。アトラス(現セガグループ)が、『プリント倶楽部』を発売して以降、SMAPの番組をはじめテレビで取り上げられて話題に。1997年には数十社が参入して、売上は1000億円を超えるほどのブームとなった。
フリューは1997年に、プリントシール市場に参入する。その第一号が『似テランジェロ』という筐体で、撮影したものを似顔絵イラストに加工するという斜め上の筐体だった。当時、競合と差別化を図るため、変わり種で勝負したものの結果は大コケ。次回作以降は、オーソドックスなプリ機をリリースする。
その後1999年にヒットしたのが、『ハイキーショット』だった。 今では当たり前となっている美白機能を搭載したものであり、可愛く写りたいというティーンの心を掴んだ。
フリュー広報部・疋田さん「当時、浜崎あゆみさんが白ギャルとしてカリスマ化しており、女子が美白に憧れていた時期でした。ハイキーショットは鼻がなくなるくらい白く飛ばす仕上がりが人気でした」
デカ目ブームは2007年から
2000年以降になると、「遊び要素」を盛り込んだ筐体が次々に登場する。撮影空間に階段や段差が設置されたものや、スキャン機能搭載で好きな小物を背景に合成できるもの、筐体から風が出てくるものなど、各社から変わり種が続出する。ただ単に、写真を可愛く撮影するだけでなく、写真を撮る体験を友達と楽しむ需要も出てくる。
そして2007年にターニングポイントが訪れる。それが『美人-プレミアム-』に搭載された「デカ目」機能だ。プリクラの代名詞といったらデカ目機能だが、これを大々的に打ち出した初の機種だったという。
フリュー広報部・疋田さん「2007年以前は、縦にしか目が大きくならなかったんです。この機種は企画担当が女性で、『女性はアイラインで目を横に大きく見せているのに、なぜプリではできないのか』という疑問があったそうです。この一声をきっかけに、縦横でデカ目を施す加工が誕生しました。
しかもこの時代は、『小悪魔ageha』が刊行されたほか、カリスマモデルの益若つばさ旋風が巻き起こっていました」
ブログブームに乗った全身撮影機能
2007年以降、デカ目ブームはどんどん加速していき、「目が画面からはみ出すんじゃないか」とまで揶揄(やゆ)されるようになっていく。さらにAmebaをはじめブログブームが訪れ、日記にコーデを載せるための全身撮影機能も重宝された。
それから4年後の2011年、転換期を迎える。AKB48などのアイドルブームが訪れ、これまでのデカ目から、ナチュラルかつ清楚に盛れるかが重要視されていくのだ。
こうした潮流の変化を受けて登場したのが『LADY BY TOKYO』だ。『AI歴代バズプリ』でも復刻する一作は、外国人モデルを起用したことでも話題に。ナチュラルさだけでなく、洗練さも押し出し、当時の若い女性にヒットした。
この記事を書いた人
1995年生まれ。大学卒業後、競馬関係の編集部に勤め、その後2021年頃から本格的にフリーライターに。Webメディアを中心に、マネー、芸能、ノンフィクションなどを執筆。趣味は飲み歩き、競馬、読書。好きなお酒はキンミヤのソーダ割り。
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