[Alexandros]川上洋平が初エッセイ本『余拍』で紡いだ想いと描かれなかった「余白」の感情【インタビュー】
[Alexandros](アレキサンドロス)のボーカル・川上洋平さんの初となるエッセイ本『余拍(よはく)』(宝島社刊)が9月28日に発売された。本書には、シリアで過ごした幼少期や帰国後の学生生活、20代後半でデビューして駆け抜けてきた音楽への思い、そしてこれからの人生についてなど、これまで明かされなかったエピソードが多数収録されている。そんなエッセイ本の発売を記念して、smart編集部はロングインタビューを敢行。初エッセイ本で紡(つむ)いだ想いから、エッセイには収録されなかった本に込めた想いまで、エッセイ本がより一層楽しめる話をたっぷりと聞いた。
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自分の言葉を書き残したい
その思いから始まった本の執筆
――最初にエッセイ本の依頼が来たときはどんな気持ちになりましたか?
「嬉しかったのですが、不安もありました。ミュージシャンなので、音に載らない言葉を紡ぐというのがどうなのかなと。今まで、雑誌などの連載で文章を書くことはあったのですが、書籍となると一つの作品なので、連載を書くエネルギーとは違うものだと思ったので。そういう思いもありつつ、自分の言葉をこの世に書き残しておきたいという気持ちもあって。例えば連載だと毎月“流れていくもの”なのですが、本って“残るもの”だと思うので、今の気持ちを残したいという思いがあったんです。それもあって、何を書くかは決まっていなかったのですが、書きたいという気持ちだけでお返事させていただきました」
――打ち合わせでは内容に関するオーダーはあったのでしょうか?
「特にありませんでした。ですが『何でも自由に書いていい』という部分が僕にとってはワクワクする部分でもあったんです。それって、曲作りにもちょっと近くて。バンドの楽曲作りのときもメンバーでスタジオに集まって、みんな楽器を持っているんだけど何をするかわからない。でも音は流したいよね。っていう、まっさらなところから曲作りをすることが自分にとっては楽しいことでもあったりするんです。その気持ちがタイトルの『余拍』というワードにつながっていくんですけど。余拍って、一拍目の音を鳴らす前の0拍の部分のことを指す言葉なんです。そこにある、これからどんな音を出していくんだろうとか、誰かからどんな音が聞こえてくるんだろうっていうワクワクする瞬間みたいなものを、このお話をいただいたときに感じたので、このタイトルを選びました」
――『余拍』という漢字は川上さんの造語ですか?
「元々『余白』という言葉が好きなんですが、それだけじゃない何かギミックみたいなものを載せられないかなと思ったときに、『拍車』とかの言葉で使われる『拍』がいいんじゃないかと思ったんです。聞き慣れない言葉ではあるのですが、オーケストラなどでは0拍目という意味で使うことがあるんです。僕にとっては再生ボタンを押す前のワクワクする瞬間でもあるんですけどね。どんな音が鳴るかわからないという状態が、次の予定を決めず行き当たりばったりな僕の人生にも当てはまる部分があって」
――シリアで幼少期を過ごした経験もある川上さん。シリアでは多国籍な言語が飛び交う環境で生活されましたが、文章を書くときに日本語に対してどのような思いを持ちながら書いていたのでしょうか?
「海外の言葉と比べて圧倒的に日本語が多いのは『字』の量。漢字や平仮名、カタカナがあって、その使い方も複雑だし、言葉にどの字を当てるかという部分でも受ける印象が変わってくる。例えば英語だったら大文字と小文字の違いくらいしかないわけで。本の中でもそうなんですが、音楽を作る際に日本語がいいなって思う部分は視覚的な部分。漢字だと堅苦しい雰囲気になるし、ひらがなだと柔らかさがあったりするし、カタカナだとちょっとロボットっぽい雰囲気になったりもする。ローマ字を使うと、英語でも日本語でもないちょっとした浮遊感みたいなものがあったりするんですよね。だから、一つの言葉でいろんな表現ができるということが日本語ならではだなと思っていて。発信者がその言葉でどんな風に感じてほしいかというところまで選ぶことができるというのが魅力だと思います。だから発信する側としては、迷うことも多いですけど、そこが楽しみでもあるんですよね」
――その感覚は音楽の中でも生かされていますか?
「『ワタリドリ』という曲があるんですけど、このタイトルもカタカナなのか漢字なのか、ローマ字でいくかということに実はすごく悩んだんです。このタイトルでいくって決めたときにメンバーの一人から『それって演歌っぽいじゃん』という意見があがったんです。それで、どう書いた印象が演歌っぽいのかを尋ねたら『渡り鳥』という漢字で。そこで、カタカナだったらどう? と提案をしてカタカナで書いて見せたら、『それだったら(演歌っぽさは)ないね』という話になったんです。このときも、日本から飛び出して海外に行こうぜという意味の『ワタリドリ』を彷彿(ほうふつ)とさせながらも、やはり洋楽に影響を受けた僕らのルーツも内包(ないほう)しているという意味ではカタカナが正解だったと思うんですよね。ローマ字でも(僕らが)意図したことと離れすぎてしまう気がしたので。なので、言葉の字面選びは普段からずっとやっていたことなんだなって思いましたね」
普段見過ごしがちな「余白」にこそ
意味や発見がある
――エッセイは生い立ちを振り返るところから始まっていきますが、ご自身にとってどんな作業でしたか?
「今までバンドを結成してからとか、デビューしてからを振り返る機会はありましたけど、幼少期やサラリーマン時代のことを振り返って人に話す機会はなかったので、それが楽しかったです。幼少期の頃、自分がどんな子だったのかを母親に聞いたりもしました。手のかからない子だったと言われたのが意外でしたね」
――デビューされてからも様々な困難を乗り越えられてきたことも綴(つづ)られています。幾多(いくた)の困難を乗り越えられた原動力とは何だったのでしょうか?
「楽観的な性格であるということが一番大きいですかね。色々悩むこともあるし落ち込むこともあるけど、次の日には忘れていることが多いんです。忘れているというか、それよりももっと大切なことがあるよねって思い出すことが多いんですね。メンバー全員そういう性格なので、起こっちゃったことはもう仕方ないし、でもまだ生きているし(抜け出す方法は)何かしらあるでしょ、って答えが返ってくることが多い。その度に今まで悩んでたことって何だったんだって笑いそうになります。そこはこのメンバーで本当に良かったなと思うところでもあります」
――とある章で「(何かを)諦めるのではなく、AとBという2つの選択肢に置き換えて考えることで、選びやすくなる」と書かれていましたが、常にそういった考え方を持っているということなんでしょうか?
「自分の人生なのに選ぶということを迫られる場面って多いので、自分の思い描くもう一つのパターンを消していくという作業を楽しみながらやっていくには、普段からそういう考え方を持っていることが大切だと思うんですよね。それは今まで生きていて自分がたどり着いたやり方でもあるんですけどね」
――「自分の歌詞には意味がない」という言葉の真意について、本当に意味がないのではなく、聞き手に託した余白を楽しんで欲しいという意味であるといったお話や、雑貨屋さんでいらないものをつい買ってしまう人生の余白など、タイトルとは違う漢字の『余白』という言葉が多く使われていましたが、川上さんが余白を大切にしている理由とはなんなのでしょう?
「僕自身、仕事が好きでどれだけ詰め込まれてもいいと思うほうなのですが、それと同じくらいどうでもいい日やどうでもいい話が好きだったりもするんです。だからくだらない話を本当に『くだらない』という扱いにはあまりしたくない。そこから何か楽しみであったり発見があるじゃないですか。人との会話でも『くだらない話で申し訳ないんですけど』っていう話が結構面白かったりするし。だからこそ、普段見過ごしがちな余白の部分を大切にしたいという思いは常に持っています。普段の生活でも、何もない1日は自分で予定を詰め込みがちになるんですが、あえて予定を入れない時間を作って、行き当たりばったりでやりたいことをその瞬間ごとに決めて動く時間というのを大切にしていたりします。ステージの前には必ず一人になる時間を作ったりとか。常に余白は意識しているかもしれないですね」
――バンドの中ではフロントマン、ボーカル、プロデューサーとたくさんの役割を担っている川上さんですが、自分の中ではその役回りをどのように切り替えているのでしょうか?
「その場に行くと、そこに適した気持ちに自然になっているので、自分の中では切り替えみたいなものはないですね。気持ちの切り替えが必要なのはテレビの生放送に出演するときくらい(笑)。それ以外、ステージを盛り上げようとか意識的に切り替えることはないです。無意識でスイッチが切り替わっていく分にはいいけど、その部分を意識して何かをしようとすると、なんだか嘘をついているような感覚に陥(おちい)ってしまうので。例えば『気がついたらさっき、かっこつけてたな』っていうのは僕の自然な振る舞いだから恥ずかしくはないけれど、意識的にかっこつけたらめちゃくちゃ恥ずかしいと思うので。だから、テレビ番組ではよく失敗するんでしょうけどね(笑)」
――「自分が作った曲と歌詞を自分の声域で、自分の仲間であるバンドメンバーとやっているのだから、何も恐れることがない」という言葉が印象的でした。
「自分がやったことのないことをやってくださいって言われたら緊張すると思うけど、何度も繰り返しやってきたことだし、自分の好きなことだし、何なら自分の書いた曲だからそこに恐れや緊張はなくて」
――元々、緊張しないタイプですか?
「そんなことはなくて、受験や面接など色々緊張してきたタイプなんですけど、自分が得意とすることを人前でやるという部分での緊張はないですね。失敗することはもちろんあるんだけど、それは緊張によるものではないということですね。例えば歌詞を間違えたとしても、俺が作った歌詞なんだから、新しい歌詞を聴けて幸せだろって思うので(笑)」
――本の中でも“俺様的発言”が散りばめられていましたが、それがすんなりファンに受け入れられるのはなぜなんでしょう?
「普通にそう思っているからですかね。人ってどこかに『俺様』を持っているので、それがちょっと表面に出てきているだけ。だから上から偉そうに言っているのではなく、ここは出しておかなくちゃいけない主張として出しているものなので。やはり自分の世界という王国(キングダム)においては俺様なので、そこは主張させていただきますという表現者としての自己主張なんです」
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