連載真説 星野仙一 ~誰も知らない“鉄拳制裁”の裏側~

「星野さんは僕らを帰さなかった」嶋基宏が今だから語る東日本大震災。闘将の冷徹な決断の裏にあった“野球人としての覚悟”

執筆者: ノンフィクションライター/長谷川 晶一

星野誠一が監督として初めて日本一になった楽天時代の選手会長にして、正捕手の嶋基宏

野球人は野球でしか被災者の力になれない

 嶋と星野の物語は、10年オフ、突然のイーグルス監督就任のニュースから始まった。野村の下で、「ID(データ重視)野球の申し子」として英才教育を受けていた嶋にとって、星野の監督就任は晴天の霹靂(へきれき)だった。

「第一印象は、“マジか”です(笑)。失礼ながら、東北には縁もゆかりもない方だと思っていましたから。初めてお会いしたのは、たしか(11年)1月の自主トレ期間だったと思います。仙台の室内練習場で、星野さんが新人の合同自主トレを見学されるということで、そのときに、おそらく初めてお会いしたと思います。テレビで見る通りの威圧感でしたね。背筋が伸びる思いでした」

 11年、星野はイーグルスの監督となり、嶋は選手会長となった。彼らを待っていたのは、野球人生、そして日本という国を揺るがす未曾有の事態——東日本大震災だった。3月11日14時46分、イーグルスナインは兵庫・明石でオープン戦を行っていた。震災直後、家族を仙台に残した選手たちは動揺し、一刻も早い帰宅を熱望した。選手会長として、嶋は球団に、そして指揮官に直訴した。しかし、星野の答えは「NO」だった。

「選手の家族はほぼみんな、そのまま仙台に残っていたので、会いたくても会えない。選手たちからは、“早く戻って顔を見たい”という声がほとんどでした。僕は選手会長だったので、その意見を球団を通して星野さんに言ったこともありましたし、監督に直接伝えたこともありました……」

 しかし、星野はその要求を突っぱねた。嶋が続ける。

「……だけど、監督は僕らを帰さなかった。星野さんからは、“どうやって仙台に帰るんや。帰ってどうするんや。野球はどうするんや?”と言われました。当時はそれ以上の説明はありませんでした。初めから、“仙台に戻る”という選択肢はありませんでした」

 星野の口数は少ない。「なぜ」という説明はなかった。それでも、あれからかなりの時間が経過した今、「野球人は、野球でしか人々を勇気づけられない」という、星野の覚悟に気がついた。嶋は続ける。

「選手たちからの不満の声はあったけど、星野さんは、“野球人なら、野球で被災者を元気づけろ”という覚悟を述べていたんじゃないのかなと、今なら思います。だから、あえて冷徹な決断を下したんじゃないのか。今はそんな気がします」

 選手たちを仙台に戻すことは頑なに拒んだ。しかし、その代替策として、選手の家族を名古屋のホテルへと呼び寄せるよう球団に、星野は指示し、実現させた。厳しさの裏にある、親心の表れだった。

この記事を書いた人

1970年生まれ。早稲田大学卒業後に出版社へ入社し、女子高生雑誌『Cawaii!』などのファッション誌の編集に携わる。2003年からフリーに。ノンフィクションライターとして活動しながら、プロ野球12 球団すべてのファンクラブに入会する「12 球団ファンクラブ評論家®」としての顔も持つ。熱狂的な東京ヤクルトスワローズファンとしても知られ、神宮球場でのホームゲームには全試合駆けつける。単行本が7刷となり文庫化もされている『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(単行本:インプレス、文庫:双葉社)をはじめ、ヤクルト関連の著書・連載多数。スポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)にも定期的に寄稿中。日本文藝家協会会員。

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