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「窪塚洋介、1990年代を語る」ファッションとの出会い、“裏原”との接点、音楽とカルチャーの相互作用【連載Back to 90s】

執筆者: 編集者・ライター/高田秀之

窪塚洋介、1990年代を語る。撮影は東京・原宿で行われた

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ファッション、音楽、アートなど、現代の“カルチャー”が萌芽(ほうが)したといえるのが1990~2000年代だ。そこで今月号から連載「Back to 90s」をスタート。インタビューという形で当時を知る方々に、90年代はどうエモかったかをリアルな言葉で語っていただく。1回目のゲストは俳優・窪塚洋介。smart 創刊編集長の高田秀之を聞き手に、窪塚洋介が語る「マイ90sストーリー」とは?(本記事はsmart1月号未掲載部分を含む窪塚洋介インタビュー完全版です)

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窪塚洋介の90年代ファッションとの出会い

窪塚洋介、1990年代を語る。撮影は東京・原宿で行われた

――昔、『smart』ではあまりファッションの話を聞いてなかったんですよ。

窪塚洋介(以下、窪塚)「確かに。映画の話とか、俺がスピったときの話(笑)とかに付き合ってくれてたんだなって(バックナンバーを見て)思いました」

――ほかにも水の結晶の話とか(笑)。なので、今日はファッションのことに関してメインに聞きたいんですが、一番初めにファッションに目覚めたのは、子供の頃に映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を見て、BMXに衝撃を受けたときだそうですが。

窪塚「白のBMXに乗ってました。それは誕生日に買ってもらったもので、映画『グーニーズ』を観たときに、後ろのほうにジャラジャラと旗が付いてて、なんてかっこいいチャリンコなんだろうと思って、自分で紙を切ってサドルのところにセロハンテープで貼った記憶があります。すぐ外したけど。さすがに『これは、ねえな』って思ったんでしょうね。

その前に戦隊モノのかっこいい感というか、女の子がプリンセスに憧れるみたいな時代はあったんでしょうけど、ファッションの目覚めみたいなのは、そのへんかな……」

――結構小っちゃい頃ですよね?

窪塚「そうですね。小学校低学年くらい」

――戦隊モノを卒業して、そっちにいった感じ?

窪塚「その間はよく覚えてないけど、アニメでしょうね。『ドラゴンボール』とか『キン肉マン』とか。でもそこはまだヒーロー症候群のラインにいて、『グーニーズ』になるとヒーローっていうより等身大の、かっこいい子供たちのイメージだったから、そのへんの境目はちゃんとあったんだと思う」

――で、初めて買ったスニーカーがナイキのエアフォースⅠと聞きましたけど、これもその頃ですか?

窪塚「いや、それはもっと後ですね。全然お金がないじゃないですか、子供時代は。クリスマスプレゼントを楽しみにもらうっていう時期だから、おもちゃやゲームばっかりで、ファッションは後回しになってたから、エアガンとか、ま、ミニ四駆ぐらいはこづかいで買えてたかもしれないけど。

自分の一番最初のファッションの流行って、チャンピオンのパーカだと思うんですよ。それが小学校高学年くらい。ロゴがすごく輝いて見えて、欲しいなって思ったけど、当時親が買い与えてくれていた服よりは高いし、ちょっと葛藤した気がしますね。ねだったりしたようなしてないような。でも手に入れられなかったんで、口には出さないけど『着てるやついいな』みたいな。

高校は公立の、制服はあるけど上は私服でもいいっていう緩い学校だったけど、ご多分にもれずワイシャツの上にラルフローレンのベストとかセーターを着て、バーバリーのマフラー巻いたり、夏はラコステのポロシャツとかを着たり、そんなやつがいっぱいいました。みんな金がないから、私服のほうは古着を買ってましたね。当時はネットもなくて、情報源が雑誌しかないから、『smart』とかファッション誌を全部読んでた。最初のページから隅々まで読んでたし、ケツまで何周もするぐらい読んで、その中で『かっこいい。でも(値段が)高けーっ」て服があったら、古着屋で似た超下位互換(笑)みたいなのを見つけて、アレンジするっていうのをよくやっていました」

窪塚洋介、1990年代を語る。撮影は東京・原宿で行われた

――古着屋はどこに行ってたんですか?

窪塚「シカゴとかだから、渋谷、原宿が多かったです。渋谷と原宿を徒歩で6往復ぐらい余裕でしてました。ノーウェアに入って、店員に邪険にされて嫌な思いをしたりとか(笑)」

――その頃、ファッション的に憧れてた人というと?

窪塚「中学時代は(いしだ)壱成くんとか、キムタク(木村拓哉)とか、わかりやすい感じでテレビやメディアに出ている人だったけど、だんだんそういうんじゃなく、『俺らはこの人を知ってる』みたいな感覚が出てくると、ムラジュン(村上淳)とか(松岡)俊介くんとか、浅野(忠信)さんはもちろんそうだし。あと、メンノン(『メンズ・ノンノ』)も買ってたから、ユアンくんとか。雑誌はメンノンも『smart』も、全部買ってたんじゃないかってぐらい」

――『Boon』とか『Fine Boys』とか、当時はいろいろ雑誌もありましたもんね。

窪塚「若干『FINE BOYS』に傾倒してた時期もあったかな。変遷があって、いろんな格好をしてたんですよ。サーファーっぽい格好をしたり、ラバーソウルを履いてちょっとパンクスっぽくしたり、ナイキのスニーカーやエンジニアブーツを履いたり。『若者のすべて(94年に放映されたテレビドラマ)』の影響で頭にタオルを巻いたり。奥田民生さんじゃなく、タオルを巻いたのはキムタクが発端なんです。

俺は特にいろんな格好をしたけど、それは役者としてどんな役もやれることの、練習っていうほどの意気込みじゃないけど、楽しんでスタイルを変えていた10代後半があったから、今スーツとかストリートっぽいのとかハイブランドとか、いろんなブランドでモデルをやらせてもらってる土台になってる気がします」

――その頃に「憧れブランド」ってあったんですか?

窪塚「さっきのバーバリーとラルフ・ローレンの組み合わせを制服で着ていくとか、あとは……ポーターとか」

――カルチャー的にはもうヒップホップなんですか?

窪塚「10代後半からサーフィンもやり出して、金子賢くんとかに連れて行ってもらったりもしてたんだけど、やっぱりヒップホップをかけながら車で行く、みたいな。そういうサーファー文化もちょっとかじったりして。でもスケートボードは特にやらず、高校時代にほんとちょろっとだけ。ランニングオーリーしようとして自分だけ跳んじゃって、先輩が遠くから見ててめちゃ笑われる、みたいなことはありましたけど」

――じゃあ、スケボーカルチャーは通ってないんだ。

窪塚「でも、高校一年のときに彼(ヘアメイクの佐藤修司さん)と初めて会ったんですけど、学校の説明会にダボダボのジーンズを履いて、スケボーを持ってきたんですよ。それはすごい印象的で覚えてる。“スケボーやってんの?”って話しかけたから(現場にいたヘアメイクの佐藤修司さんは、窪塚さんとは高校時代からの親友)。

でも彼は“やってないよ”って(笑)。ギターは弾かないけど、ステージに持っていくみたいな感じ。そうか、中学校3年くらいで、エクストララージとかエックスガールとかが流行っていて、その頃よくスケーターファッションをしてたんです。その延長で、スケボーもやらないとフェイク野郎になっちゃうなって、申し訳程度にちょっとやってたかもしれない。でも公園でみんなと練習してとかじゃなくて、スケボーは持ってても、バスに乗って帰るみたいな」

この記事を書いた人

流行通信社、ロッキング・オン社をへて、1990年に宝島社入社。Cutie編集長ののち1995年にsmartを創刊。2024年に退社し、現在はフリー。

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Website:https://smartmag.jp/

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