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連載山谷花純の映画連載「ALL IS TRUE」

女優・山谷花純が一番好きな映画『ファイト・クラブ』を語る | 映画連載『All is True』

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女優・山谷花純が一番好きな映画『ファイト・クラブ』を語る | 映画連載『All is True』

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映画好きとしても知られる女優の山谷花純さんが贈る、映画レビュー連載『All is True』。連載のタイトルである『All is True』は、晩年のシェイクスピア夫妻を描いた映画作品『シェイクスピアの庭』の洋題です。彼女自身、シェークスピアの舞台『ヘンリー八世』に出演していた経験もあることから「この連載で紹介する作品では、嘘をつかず真実の言葉を紡ぐ場所でありたい」という意味を込めて名付けられています。そんな彼女の思いがほとばしる映画レビューの第一弾は、1999年に公開された映画『ファイト・クラブ』。何度となく見返しているというこの作品に、彼女が感じた思いとは?真っ直ぐな言葉で紡ぎ出された山谷花純本人のレビューをお楽しみください。

女優・山谷花純が一番好きな映画『ファイト・クラブ』を語る | 映画連載『All is True』

ファイト・クラブ(1999年公開)
ディズニープラスの「スター」、Prime Videoで見放題配信中

デヴィッド・フィンチャー監督が描く社会問題と人間臭さ

「編集者により嫌な気分を味あわせたい」。
原作者チャック・パラニュークがこの作品を書いた動機だ。

そんなひねくれた発想から生み出された映画『ファイト・クラブ』は、1999年に公開された当時、世界的に熱狂的なファンを生み出した。一方で、映画評論家からあまりにも暴力的だと非難され、公開当初は製作費を回収できず製作元のフォックス重役が何人も解雇される事態にも陥ったという、ある意味問題作でもある。

私がこの作品を好きな理由は、日常生活の中で横流しにさせられている社会の格差問題に対しての抗議を、エンターテインメントの力を使って主張している点と、暴力の後ろに隠された人間臭さに魅力を感じているからだ。

主人公「僕」を演じるのは、1996年に2000人以上のオーディションから映画「真実の行方」の多重人格者アーロン役に抜てきされ映画デビューし、今なおハリウッドの中でも演技力を評価され“憑依型役者”と呼ばれるエドワード・ノートン。

そう、『ファイト・クラブ』は名前のない主人公を中心に物語が進んでいくのだ。その登場人物の名前も、のちにその意味が作中で種明かしされる重要な作品の一部でもある。

主人公「僕」は、自動車会社のリコール調査員を務め、長い間不眠症に悩んでいた。世間的に評価される高級ブランドの衣類やお洒落な家具、職人が手作りした一点物の食器などを買い揃え、物質的には何不自由ない生活を送っているのだが、症状が改善されず辛い日々を送る。医者にその悩みを相談すると、「世の中にはもっと大きな苦しみがある」と自助グループの会を紹介され、わらにもすがる想いで参加すると張り詰めた糸が切れたかのように涙が止まらなくなり、その夜は不思議なくらい深い眠りにつくことができた。

これが癖になった「僕」は、偽の患者として通うようになり安眠を手に入れたのだが、明らかに娯楽目的で会に参加するマーラ(ヘレナ・ボナム=カーター)と出会い不眠症が再発してしまう。ただ、自分もマーラと同様に正体と目的を偽って会に参加しているため、強く抗議できないまま時間だけが勝手に過ぎていった。そんなある日、出張先からの帰りの便でタイラー・ダーデン(ブラッド・ピット)と名乗る謎の男に出会う。タイラーは、ユーモアがありルックスも良く自信家。まさに「僕」が理想とする人物だ。

「僕」は戸惑いながらもタイラーに強烈な羨望を抱き、二人はあるルールのもとで男同士が素手で殴り合う“ファイト・クラブ”という組織を結成する。私生活での立場や常識を排除し、全くの別人として存在できるファイト・クラブという居場所に「僕」は生きる意味を見出していったが、タイラーの暴走によってテロリズムの組織となり、コントロールが効かない状態になってしまう。そしてラスト30分。「僕」は、衝撃の事実を知ることになる。

私がこの作品と出合ったのは、高校生のときに先輩からデヴィッド・フィンチャー監督作品をおすすめしていただいたのがきっかけだった。

デヴィッド・フィンチャー監督は、1992年に「エイリアン3」で監督デビューを果たすも、その長編デビュー作が批評家から酷評され興行的にも失敗してしまい「新たに映画を撮るくらいなら、大腸がんで死んだほうがマシだ」と述べるほど大きな挫折を経験している人物。

その後1995年にブラッド・ピットとモーガン・フリーマンが主演のサスペンス映画「セブン」で監督復帰を果たし、同作品は映画好きの方々に必ずと言っても良いほど愛される名作として評価を受けた(この作品も個人的におすすめしたい)。

物語の冒頭に一番重要なラストシーンを躊躇(ちゅうちょ)なくドカーンっと提示するのがデヴィッド・フィンチャー監督作品の特徴。結末からスタートを切るからか、物語のほとんどが回想シーンのような不思議な感覚に陥る作風に衝撃を受け、たちまちファンになった。

ブラッド・ピット演じる、タイラーという存在が放つ常識を超えたカリスマ性

その作風を象徴するように、『ファイト・クラブ』は「タイラーを知っているか?」というセリフから物語が始まる。初めて観る人からしたら、思わず「タイラーって誰?」となるだろう。私も初見のときにそう思った。だが、一度観たことがある人の場合、この時点で物語の核心を突くセリフが放たれたことに心臓がざわめき出す。なぜならば、「僕」とタイラーには切っても切れない固い繋がりがあるからだ。ここから一気に時計の針が巻き戻され、主人公「僕」目線の日常から語られ始める。

本当に好きな物なのか?本当に欲しい物なのか?それも分からないまま、世間体を気にした上で購入した「物」たちに囲まれ着飾った生活を送る「僕」。

何一つ不自由なく全て綺麗に揃った日常。けれど不思議と心は満たされない。それを孤独と呼ぶべきなのかすら、分からない。ただ、何かを変えるべきなのは明確に感じているのだが、何を変えればいいのか分からず、結果不眠症になってしまう。

主人公「僕」の設定は、時代を経た今、コロナ禍を経験した現代を生きる多くの若者たちが密かに抱える問題と通ずるように感じる。そんなとき、もう1人の主人公、ブラッド・ピット演じるタイラー・ダーデンと出会う。最高の映画キャラクター100人で1位に輝くほど、狂気、愛嬌、色気が融合し、「僕」だけでなく視聴者側にとってもまさに理想とする男性像のタイラー。ブラッド・ピットのルックスはもちろんのこと、人として多くが欠落しているタイラーという存在が持つ、常識を超えたカリスマ性に惹かれてしまうのだ自由気ままに生きているように見せて、唐突に核心をつく言葉を投げかける絶妙なセンスの持ち主でもある。「おまえは、物に支配されている」。「僕」と出会ったときに、タイラーが口にした言葉は、「僕」を通して作品を観ている側にもグサッと胸に刺さり影響を与える一言だ。

この作品で唯一「僕」とタイラーの関係性に疑念を抱くヒロインであるマーラ(ヘレナ・ボナム=カーター)も、ある意味で物語の爆弾である。バラバラに散りばめられたパズルのピースを繋げるためのヒントを提示し続けてくれる、一番お客さんに近い距離に存在する役。作品当時のヘレナ・ボナム=カーターは、コスチュームプレイ作品への出演が多く「コスチューム・クィーン」「イングリッシュ・ローズ」という愛称を付けられていただけあって、画面から滲み出るほどのベタつく色気、限度を知らない狂いように恐怖すら抱くほどの女優としての覚悟を感じさせられる。何を考えているのか予想がつかない芝居。役との距離が限りなく近いのに女優としての色を残す。私は、自分と役との天秤のかけ方に嫌らしさを感じさせないのが彼女の個性であり魅力だと思う。物語前半に訪れるマーラが煙草をふかすシーンは、何回観ても見惚れてしまうほど私が大好きなシーンの一つだ。

私は、今回改めて、この作品と向き合うきっかけをもらった。

誰にだって理想の自分が存在する。
現実の自分を全て愛せる人なんてほとんどいない。
取捨選択という枝分かれを繰り返して辿り着いたのが、自分だけが味わえる“今”だからだ。
何一つ間違いじゃないから、人は悩み苦しみ、秘密の鍵でしか開けることができない宝箱を温め続ける。
ただ、自分自身の中にその鍵のスペアを持っている存在が現れたとき、どんな感情が湧き出るだろうか?

きっと、眩しいくらい全てが輝いて見えるだろう。
手を引かれるまま、光の指すほうへ振り返らず駆け出すだろう。
そして深呼吸するためにふと立ち止まったときに、得たモノと同じくらい失ったモノの多さを知るのだ。
沢山のモノ達で溢れ返っていたこの世界の美しい顔を思い出す。
喉から手が出るほど欲しかった理想の現実世界も憧れという一つのフィルターを失えば幻。
結果、人は無いもの強請り。
地主の子に生まれたかったという私の夢が生涯叶わないのもそう。
何にも無いから、手に入れようという思考が働く。
そして人と出会う。手の温もり一つで涙が溢れる日を経験する。

そんな本来の自分を失う事ほど怖いものは無い。不条理な世界に唇を噛み締めながらも、過去を積み重ねて得た“今”を愛してあげられるのは自分しかいないという答えに辿り着いた。

『ファイト・クラブ』は全体的にポップな作りになっていて、思わずクスッと笑ってしまう描写が満載だが、サスペンス映画に分類される。

「僕」とタイラーが出会う前に、至るところでタイラーらしき人物が映っていたりと冒頭から伏線が散りばめられていて、まるで作品が観客を嘲(あざ)笑っているかのようだ。

けれど、エンドロールが流れ始めると不思議とこう思うだろう。

もう一度、観たいと。
タイラーに会いたくなるのだ。
知らぬ間に観客側もファイト・クラブの会員になっていたのだ。
人を虜にさせる名作。私が一番好きな映画。

最後に皆さんへ、お聞きしたいことがある。
「壊したい世界は、ありますか?その世界は、本当に醜いモノですか?」

女優・山谷花純が一番好きな映画『ファイト・クラブ』を語る | 映画連載『All is True』

『ファイトクラブ』(1999年公開)
ディズニープラスの「スター」、Prime Videoで見放題配信中

【STORY】
『セブン』のブラッド・ピットとデヴィッド・フィンチャー監督の最強コンビが復活した話題作。不眠症に悩む若きエリートのジャック(エドワード・ノートン)。彼の空虚な生活は謎の男、タイラー(ブラッド・ピット)と出会ってから一変することに。自宅が火事になり焼け出されたジャックはタイラーの元へ身を寄せる。「お互い殴り合う」というファイトにハマっていく2人のもとにファイト目当てで男たちが集うようになり、やがて秘密組織「ファイト・クラブ」が作られた……。

【キャスト】
ジャック&ナレーター:エドワード・ノートン
タイラー:ブラッド・ピット
マーラ:ヘレナ・ボナム・カーター
監督:デヴィッド・フィンチャー
©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

文=山谷花純
構成=佐藤玲美

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  • 『ファイトクラブ』(1999年公開)©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
  • 『ファイトクラブ』(1999年公開)©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

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この記事を書いた人

佐藤玲美

佐藤玲美

東京在住のライター・エディター。『smart』『sweet』『steady.』『InRed』など、ウィメンズ、メンズを問わず様々なファッション誌やファッション関連のwebでライター&編集者として活動中。写真集やスタイルブック、料理本、恋愛心理、インテリア関連、メンタル&ヘルスケアなどの本の編集にも携わる。独身。ネコ好き。得意ジャンルはファッション、ビューティー、インテリア、サブカル、音楽、ペット、料理、お酒、カフェ、旅、暮らし、雑貨など。

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