「クビ寸前だった」今岡真訪を救った星野仙一の一言…阪神V戦士が明かす“闘将”の素顔
執筆者: ノンフィクションライター/長谷川 晶一

野村克也監督時代の不遇を経て……
星野の前任は、球史に残る名将・野村克也だった。野村時代の今岡は出番に恵まれず、メディアはしばしば「野村監督に干された今岡が、星野に救われて覚醒した」という文脈で語りたがる。しかし、当事者である今岡の視線は、驚くほど冷静だ。
「みなさん、野村監督がどうのこうのと言いたがりますけど、僕にとってはそんな大した問題じゃないんです。人生、どの世界にだって合う上司、合わない上司はいる。自分にとって逆風が吹く時期というのは誰にでもあるもので、それが僕にとっては、たまたま野村監督の3年間だったというだけのこと。出会う人全員が味方なわけがないんです」
今岡は、野村への恨み言は一切口にしない。しかし同時に、01年シーズンが終わり、野村が退任した頃、今岡がそれまで感じたことのない危機感に襲われていたのも紛れもない事実だった。
「実はあのときの僕は、“もうプロ野球を辞めないといけない。クビになるかもしれない”というところまで追い詰められていました。だから、02年に星野監督が来られたとき、僕は腹を括ったんです。“今年、結果を出してレギュラーを取れなければ、もうユニフォームを脱ごう”と。まさに、己の野球人生のすべてを懸けた1年の始まりでした」
こうした決意と覚悟が、02年2月23日、キャンプ終盤に行われたこの年最初となるオープン戦の打席に凝縮される。まだ2月、選手たちは調整段階にあり、ペナントレースの行方など誰も気にしていない時期の対外試合初戦。しかし今岡にとっては、これが「人生を懸けた一打席」の舞台となった。

「昨年まで会社から評価されていなかったサラリーマンが、上司がガラッと変わった最初の日に“じゃあ、お前営業取ってこい”とチャンスを与えられたようなものです。初っ端の試合の、あの打席に今後の僕の野球人生のすべてが詰まっていました」
マウンドには西武ライオンズの左腕・帆足和幸。今岡の身体は、異様な緊張のせいで硬直していた。打ちにいきたいのに、どうしても手が出ない。ストライク、ストライク、ストライク——。あっという間の三球三振である。いや……。
「実際のところ、本当は三球三振だったんです。完全にストライクだった球を、審判が“ボール”と言ってくれた。九死に一生を得た3球目でした。そして4球目。僕は崩されながらも、必死にボールに食らいつきました……」
打球が転がるのを見届けながら一塁を駆け抜けた。その瞬間、今岡は信じられない行動に出る。オープン戦にもかかわらず、右拳を突き上げ、激しいガッツポーズを披露したのだ。めったに感情を爆発させることのない男による、精一杯の歓喜の表現だった。
「周りのチームメイトは、“オープン戦なのに、あいつ何熱くなってんだ”と感じたかもしれません。でも、全然気にならなかった。もし、あのジャッジがストライクで三球三振だったらと思うと、今でもゾッとします。自分自身が“やっぱりオレはダメだ”と思い知らされて、もう二度とチャンスは来なかったかもしれないから。でも、あの日のヒットで、僕は“これで勝った、今年は絶対にやれる”と確信できたんです」
この記事を書いた人
1970年生まれ。早稲田大学卒業後に出版社へ入社し、女子高生雑誌『Cawaii!』などのファッション誌の編集に携わる。2003年からフリーに。ノンフィクションライターとして活動しながら、プロ野球12 球団すべてのファンクラブに入会する「12 球団ファンクラブ評論家®」としての顔も持つ。熱狂的な東京ヤクルトスワローズファンとしても知られ、神宮球場でのホームゲームには全試合駆けつける。単行本が7刷となり文庫化もされている『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(単行本:インプレス、文庫:双葉社)をはじめ、ヤクルト関連の著書・連載多数。スポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)にも定期的に寄稿中。日本文藝家協会会員。
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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