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「窪塚洋介、1990年代を語る」ファッションとの出会い、“裏原”との接点、音楽とカルチャーの相互作用【連載Back to 90s】

執筆者: 編集者・ライター/高田秀之

音楽とカルチャーの相互作用

「窪塚洋介、1990年代を語る」ファッションとの出会い、“裏原”との接点、音楽とカルチャーの相互作用【連載Back to 90s】

――自分の糧になるインプットがたくさんあった感じ?

窪塚「そうですね。興味のないものには興味がわかないけど、でもたとえばコロナの時期に腸活の話から『微生物?発酵?』ってことに興味がわくと、ブワッとそっちにアンテナが張られて、最近は講演会とかに呼ばれると、ずっと腸の話をしてるんですよ、俳優なのに。

当時はその熱量がストリートファッションに向いてたから、吸収力がスポンジのように、シーンにも派閥にも発揮されて、この人たちはこういうスタイルなんだな、ここは似てるけどここは違うなっていうのを敏感に察知して、自分の中に入れてたような気がします」

――毎日毎日いろんなものが入ってたと。

窪塚「いや、本当、ハーレムで寝て起きて、そこから現場行って、終わりが遅かったらまたハーレムに戻って、それかまがちんの家だったり誰かの事務所に行って、家がすぐそこなのに帰らないっていう、それぐらいもう、楽しくてしょうがなかった」

――当時はクラブ文化も盛り上がってましたもんね。

窪塚「そうですよね。“今日はどこ行く?”みたいな。でもハーレムが自分にとっては一番近い感じがしましたね。新宿とかは全然行かなかったんで」

――新宿って何がありましたっけ?

窪塚「チャラ箱だけど、コードとか。何回か行ったけど、ノリが全然違うし、お姉ちゃんと出会いたいならそっちかなって感じだったけど、でもそういう欲求は全然なくて、かっこいい人たちと一緒に遊んでいたい、そうなるとかっこいいのはそっち(ハーレムとか)だったから」

――真柄さんをはじめ、先輩の方々としょっちゅう遊んでたって感じですか?

窪塚「遊んでもらってた。常に一番年下だったから、めっちゃ気楽だったんですよ。怒られたり、いじられたりはするけど、可愛がられてはいたんでしょうし。ずっと先輩と遊んでて、後輩との遊び方とかを全然覚えないで育っちゃったから、30代の半ばくらいに、卍LINEをやってる頃に、けっこう後輩も増えてるって気づいて、“あれ、どうやって接するの?”みたいな感じになったぐらい、先輩とばっかり遊んでた。

でもなんか、自分が中途半端だなっていうのは、高校3年だったり芸能界行くときにめっちゃ思ってて。パンチのあるエピソードもないし。それが自分の中で壁、わかりづらい壁って感じだったけど、あるとき、みんなそうだし、自分が自分を極めたらいいんだなってことに気づけたとき、すごいラクになった記憶はありますね。

20代前半くらいに、何かになろうとするんじゃなく、自分が自分になればいいっていうのを確信したことがあって。それはたぶんいろんな人、まがちんも含めた周りにいるかっこいい人たちが背中で教えてくれたことだと思うんだけど。そんなことを言葉で語る人は誰もいなかったから。じゃあ俺は中途半端な俺を極めればいいんだなっていう、それが一番かっこいいことだし大事なことで、幸せに直結してるなっていう。人間だから本能で、人と比べたりしてしまうんだけど、比べる必要はないっていう」

――それが学んだってことなんですかね。

窪塚「そうですね、背中で教えてもらいましたね。無茶苦茶な人もいっぱい見れたから、それが良かったんだと思う。スケシンくんとか『スター・ウォーズ』のマスクを被って、普通に原宿歩いてましたからね。ライトセーバーを2本持ってスタジオに現れたり、“職質されないんですか?”って感じで。いまは一周まわって普通になったけど、そういうのをいっぱい見て、これでいいんだよな、みたいな。生きたいように生きりゃいいんだよっていうのを、めっちゃ教えてもらいましたね」

――あの頃は、そういう風に自分を出してる面白い人がいっぱいいた気がします。

窪塚「当時がたぶん、俺の体感だけど、24〜5年前が一番そういう生きたいように生きるっていうのが発露してた気がする。今はもうちょっと窮屈になってるのか、一周まわって大人になったのかわかんないですけど、主張とかをしなくなってるじゃないですか、俺も含めてですけど。

“風の時代”ってこういうこと?みたいな。またスピったことを言いますけど。今までは物質とかに比重があったけど、形のない心とか気遣いとか、いまはそっちのほうが重宝されてて、アイテムにこもってる想いとかが大事にされる時代になったのかなと。俺が一時期スピった時代も大事なんですよ、その土台になっているから。今も本を書いたりするときに、ストリートで教えてもらったことと同じくらいの比重で自分にとっては大事なことなんで。今までの全部の道が、これでよかったなっていう」

――『smart』で印象に残ってる撮影って何ですか?

窪塚「浅野(忠信)さんに会ったのはよく覚えてる、このとき(04年3月号)に初めてお会いしたので。あと “水・麻・光”って言ってる頃の自分の感覚も。俺らも70%水なんだから、絶対影響あるっていうのも今の土台になってるし」 

Profile/窪塚洋介(くぼづか・ようすけ)
1979年5月7日生まれ、神奈川県横須賀市出身。1995年俳優デビュー。映画を中心に国内外問わず多数の話題作に出演し、舞台でも活躍するほか、音楽活動、モデル、執筆と多彩な才能を発揮。自身のYouTube番組や日本酒「福霧」、ゴルフアパレルブランド「8G SHOOT」などのプロデュースにも注力している。12月6日からDMM TVで配信される『外道の歌』に主演。

Photography_KENTO MORI
Styling_YOSUKE KUBOZUKA
Hair&Make-up_SHUJI SATO(Botanica makehair)
Interview & Text_HIDEYUKI TAKADA

衣装はすべて本人私物

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この記事を書いた人

流行通信社、ロッキング・オン社をへて、1990年に宝島社入社。Cutie編集長ののち1995年にsmartを創刊。2024年に退社し、現在はフリー。

X:@hideyuki1961

Instagram:@htakada1961

Website:https://smartmag.jp/

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