星野監督は日本一の裏で満身創痍だった――。鉄拳制裁を封印した楽天時代、嶋基宏が触れた「究極の優しさ」
執筆者: ノンフィクションライター/長谷川 晶一

田中将大と歩んだ「肩の荷が下りた日」
2013年11月3日、クリネックススタジアム宮城——。日本シリーズ第7戦、9回表、前日に160球を投げて完投負けを喫した田中将大が、マウンドへ向かう。近代野球のセオリーや球数制限という物差しでは測れない、星野による執念の起用だった。
「田中がベンチに入っている時点で、勝っていたら間違いなく、田中がいくと思っていました。逆に、“彼が投げないで誰が投げるんだ”とも思っていました。リーグ優勝もCS(クライマックスシリーズ)突破も田中が決めてきた。日本一を決める場面で、田中以外に誰が決めるんだ。僕たち選手も、監督も、思いはそれだけでした」
嶋の言葉にあるように、13年、ついに星野の野球人生における集大成が訪れる。この年、エースの田中将大が24勝0敗という驚異的な成績を残した。リーグ優勝、CS、そして最後のマウンドに立っていたのはいずれも田中であり、彼とバッテリーを組んでいたのが嶋だった。雨が降りしきる中、田中はついに胴上げ投手となった。星野にとって因縁の相手、読売ジャイアンツを撃破しての日本一である。
「このときの思いは、単に“嬉しい”という言葉では、なかなか言い表せないほどの感情がありました。でも、いちばん最初に感じたことで、今もハッキリと覚えているのは、“やっと、これで肩の荷が下りたな”ということだったんです」
11年の震災直後、嶋は「見せましょう、野球の底力を」と語った。しかし、勝負の世界は甘くない。11年、12年と思うような結果が出ないもどかしさを、嶋は選手会長として、そして正捕手として一身に背負ってきた。
「僕はずっと、“被災された方々にとって、勝つことがいちばんの勇気づけになる”と言い続けてきました。そして13年、ようやくああいう形になって、本当に“ああ、よかった”と心から安堵しました。被災地の方々との約束を、ようやく果たすことができた。あのときの気持ちは一生忘れられません」
日本一が決まる運命の第7戦、百戦錬磨の闘将・星野もまた、一人の「勝負師」として揺れていた。嶋は、至近距離でその様子を感じ取っていた。
「あの日の監督は、とにかくそわそわしていました。ベンチの後ろを歩き回ったり、落ち着きなく動いたり。普段はどっしり座って時折声を出すスタイルなのに、第7戦は投手起用も含めて、相当なプレッシャーの中にいたんだと思います。シーズン中とは明らかに違う、監督の人間らしい一面を見た気がしました」
この記事を書いた人
1970年生まれ。早稲田大学卒業後に出版社へ入社し、女子高生雑誌『Cawaii!』などのファッション誌の編集に携わる。2003年からフリーに。ノンフィクションライターとして活動しながら、プロ野球12 球団すべてのファンクラブに入会する「12 球団ファンクラブ評論家®」としての顔も持つ。熱狂的な東京ヤクルトスワローズファンとしても知られ、神宮球場でのホームゲームには全試合駆けつける。単行本が7刷となり文庫化もされている『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(単行本:インプレス、文庫:双葉社)をはじめ、ヤクルト関連の著書・連載多数。スポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)にも定期的に寄稿中。日本文藝家協会会員。
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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