伊勢谷友介が自らに課すトリックスター的役割「自分のメッセージが人の実生活に中に入り込むっていうのが、今の僕のアート作品」
執筆者: 編集者・ライター/高田秀之
だんだんどういう角度でどう動くとケレン味が出るかがわかってきた
――その後に、続いて是枝さんの『DISTANCE』に出演し、俳優として本格的なキャリアが始まりました。
伊勢谷「初めに関わらせてもらった作品がアートフィルムに近いものだったので、あの頃が一番楽しかったですね。アイドルが中心で、クオリティは低いけど人気があるから作られるような映画には出たくないっていうのがすごくあって。それを受け入れられるようになったのは30歳くらい。そのときにはもうリバースプロジェクトという会社を構えていて、人類種の存続のために資本主義社会の中で活動するっていう道を自分で作ったんです。
僕が映画に出ることで、会社が有名になればいいと思ったのが、そのきっかけです。リバースプロジェクトは現代美術の一つとして考えていたので、『社会に変化を与える』会社として、社会に顕著化する必要があったんです。会社の代表として、実務者となれれば、多くの人にも真似できるものになる。そのために僕が有名であれば、その顕在化への加速度も上がるはずだと思ったんですよね」
――それはいつからのこと?
伊勢谷「(映画)『あしたのジョー』からの、ほとんど全部ですよ。さすがにお断りさせてもらった話もありますけど」
――そういう理由もあったんだ。
伊勢谷「その理由だけですね。そこからは恋愛映画もやるようになりました。それまでは“恋愛映画ってやる意味あるの? そんなこと社会に訴える必要ないだろ、お前の人生でやればいいじゃん”って思ってたから。社会の構造を変えられる映画じゃないとやる意味がないって当時は思ってたんですよね(笑)。『梨泰院クラス』ってドラマは、僕は観始めて数十秒でダメでしたけど、めちゃくちゃヒットしたじゃないですか? これは僕のしたいことと世の中が求めていることは大きく距離があるなと思って、その思いをいまだに感じたままでいます」
――たとえば、どういう作品だと自分的にも納得できるんですか?
伊勢谷「『ブラインドネス』とか。『シティ・オブ・ゴッド』の監督(フェルナンド・メイレレス)の作品なんですけど、あれはそういうレベルに達しているし、自分も小さい役でしたけど、その一部になれたことが嬉しかった。あと『ドント・ルック・アップ』とか。メディアとか一般社会がみんな加害者だって提示されてるこの映画を観て、自分もその一員かもしれないなって気づかされたし、一人でも多く気づければ良いですよね」
――役者としての充実感はあった?
伊勢谷「そうですね、役者をやる上では素晴らしい監督でもダメな作品でもやることは変わらないので。“だせえな、この演出”とか思っちゃうと芝居ができないから、そういうのは全部取り払って、役を作り込むし」
――演技をするうえではどんなことを心がけていたんですか?
伊勢谷「以前、佐藤浩市さんとご一緒したときに、一人称として自分のメンタルに集中しつつ、三人称としていかに自分が自分を演出するかっていう話をしてくださったんですよ。どういう角度でどう動くとケレン味が出るかがわかって、できるようになりました。僕、テレビに出たのはNHK(ドラマ『白洲次郎』)が最初なんですけど、あれもケレン味たっぷりでしたよ」
この記事を書いた人
流行通信社、ロッキング・オン社をへて、1990年に宝島社入社。Cutie編集長ののち1995年にsmartを創刊。2024年に退社し、現在はフリー。
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