「女優やモデルが大絶賛する人気料理家」料理は独学から年1万食のヒットメーカーへ…寺井幸也が“映え”から“持続可能”へシフトした理由
執筆者: ライター/石野志帆
インスタグラムで話題をさらい、ファッション誌でも引っ張りだこの料理家・寺井幸也さん。息をのむような美しい彩りの“映え”を意識しながらも、身体にやさしい味付け、こだわりの素材を使った『YUKIYAMESHI(幸也飯)』は、おしゃれなデリ・ケータリングのトップランナーとして一躍有名になった。そうした中、昨年には食に関する環境問題の解決に貢献すべく、オイシックス・ラ・大地株式会社グループに加わることが発表された。ヘルシーさや“映え”から女優やモデルを中心に人気に火がついた料理人が、SDGsへの取り組みに真剣に向き合うようになるまでのユニークなキャリアについて聞いた。
目次
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おしゃれケータリングの先駆け的存在『幸也飯』、“映え”を最先端で意識して人気沸騰
――寺井さんのケータリング料理『幸也飯』は、見た目の美しさはもちろん、食べたときの幸福感が格別だと評判で、特にファッション業界のプロフェッショナルからの支持が厚いと聞きます。一方で、料理人になったのは偶然だったそうですね。
寺井幸也(以下、寺井) まったくもって料理人になろうとは思っていなくて、今でもなんでやっているんだろうと思うくらいです(笑)。10年以上前、得意だった家庭料理をホームパーティーで振る舞っていたんですが、みんなが当時流行り出したインスタグラムに僕のご飯を『#幸也飯』とタグ付けしてアップし始めたんです。それを見たファッション誌関係者が「これ、(撮影)現場とかでやってくれないかな」と仕事をくれたのが始まりです。
――タグ付けをしてくれたのは有名人だったんですか?
寺井 全然そういう方ではありませんでした。僕はもともと芸能界とのつながりがあったわけではなく、当時のパートナーがフォトグラファーだったので、編集やライターの方がうちに遊びに来ることが多かったんです。そうした方々のグループLINEで「新しいのが出てきたけど、やばいよ!」みたいに情報が回って、そこから料理の仕事が入ってくるようになった感じですね。
――当初は副業のような感じだったんでしょうか?
寺井 レストランで働きながら、週1、2度の休日で予定が合う日だけ、ケータリングを引き受けていました。レストランではサービス担当だったので、実は厨房には一切入ったことはないんです。高校を卒業してからバンド活動との並行を経て、10年ぐらい飲食をやってきたんですけど、お客様と会話できるサービスの仕事が好きでした。
――ということは、料理は独学なんですか?
寺井 独学です。なので、僕のジャンルは家庭料理なんです。家でお母さんがちょっとフレンチっぽいものを作るとか、中華っぽいものを作るってあるじゃないですか。そういうイメージですね。
――最初にオファーが来た仕事はどんなものだったのでしょうか?
寺井 デビューが(光文社の)雑誌『CLASSY.(クラッシィ)』のロケだったんですけど、「グランピングの企画でモデルさんとスタッフの計 20 人に出す現場のご飯を作ってほしい」というのが最初の仕事でした。そこから、現場にいたスタイリストさんとかヘアメイクさんが広めてくれて、どんどん問い合わせが増えていきました。
――業界で一気に寺井さんの料理が広がっていった理由はどこにあったと思いますか?
寺井 とにかく“映え”だったんだと思います。みなさんが集中して撮影をやっている中で、お昼の時間を楽しむのはすごく大事ですよね。だからこそ「料理でどう現場を盛り上げられるかな?」とよく考えていました。メニュー表を一切つけずに現場に足を運んで説明して、運が良かったらモデルさんに覚えてもらってインスタに載せてもらって……ということも、徹底してやっていましたね。
――寺井さんが関わる料理は本当に色彩が豊かですよね。
寺井 動物がすごく好きなので、世界中にいる珍しい柄の鳥や虫の配色を研究して、「この色とこの色の組み合わせはすごいな」と思ったものをそのまま再現したこともありました。ピンクや紫の食材は少ないですけど、それをどれだけ入れられるか……みたいなことを頑張っていたら、“インスタ映え”する料理ができ上がっていた感じですね。
――花の装飾も効果的に使われています。
寺井 雑誌の誌面で食事周りのスタイリングをする仕事が増えるにつれて、花を使うことが増えました。単に綺麗ということだけではなく、そこにあることで周りの空気感を変える、というスタイリングをしています。
――女優さんやモデルさんに好まれたのは、ヘルシーさにも理由があったのではないでしょうか?
寺井 当初から「完全にグルテンフリーで」とか「低GI(グリセミック・インデックス。食品に含まれる糖質の吸収度合いを示す指標)で」という要望を一個単位で調整して作っていました。
――低GI食品などは、流通している商品は今ほど多くはない頃ですよね。
寺井 そうですね。でも当時は「全部対応します!」と引き受けて、オーダーが来てからたくさん調べて作る……みたいなことをやっていました。
――今でこそおしゃれなケータリング会社も増えましたが、当時は装飾も含めたスタイリングをする先駆け的な存在だったのでは?
寺井 みなさんがよくそう言ってくださいますね。確かに誰もやっていなかったことですし、お花屋さんはお花屋さんで入れて、フードはフードでやって……、という感じで別物という感じでした。そのときは本当に一生懸命いろいろと考えて、ゼロイチでやっていましたね。
この記事を書いた人
TV局ディレクターや心理カウンセラーを経て、心を動かす発見を伝えるライター。趣味はリアリティーショー鑑賞や食べ歩き。海外在住経験から、はじめて食べる異国料理を口にすることが喜び。ソロ活好きが高じて、居合わせた人たちの雑談から社会のトレンドをキャッチしている。
Website:https://smartmag.jp/
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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