1990年代の撮影は「言えないこともいっぱい(笑)」名脇役・渋川清彦が今だから語れる“あの頃”
執筆者: 編集者・ライター/高田秀之
かつてはKEE(キー)という名前でモデルとして活躍し、今では多くの映画やドラマで活躍中の俳優・渋川清彦。smart創刊の頃からモデルとして多くのファッション撮影を経てきた彼の見た1990年代とは?
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地下鉄で声をかけられたのがすべてのはじまり
――KEEくんがこの業界に入ったきっかけのナン・ゴールディン(写真家)の写真集『TOKYO LOVE』の話から聞かせてもらえますか?
渋川清彦(以下、渋川)「ナンに地下鉄で声をかけられたんです。ちょうどそのとき、彼女が『TOKYO LOVE』のモデルをいろいろ探していて、他のモデルの人は誰かの紹介だったらしいんですけど、俺だけナンパで」
――その時は学生?
渋川「19歳のときで、専門学校に1年だけ行ったから、学生か学生じゃなかったかぐらいだったと思います」
――もともとはバンドを目指して上京したんでしょう?
渋川「そうなんです。だから超ロカビリーで、普段から髪を立ててロカビリーっぽい格好をしてたから、目に止まったんじゃないですかね」
――そこからホンマ(タカシ/写真家)さんとも知り合った?
渋川「ナンにいろいろなところに連れていってもらっていて、ある日DUG(新宿のジャズバー)に荒木(経惟/写真家)さんがいるから行こうって連れて行かれて、そこにホンマさんがいて。それで、ホンマさんとの一番初めの撮影はドイツの雑誌だったかな。その写真を撮ってもらったのがモデルとしての最初ですね」
――smart創刊号のホンマさんのページにもKEEくんが登場していますが、その頃からモデルとして声がかかり始めた感じ?
渋川「本格的にはモデルをやり始めたのは事務所に入ってからですね。22〜23歳ぐらいだったと思うんですけど。smartの前にCUTiE(キューティ)に出てるんですよ。“KIDS COLLECTION”っていう素人の子が出るページで、そのときの俺のコメントが『マット・ディロンみたいにクールになりたい』(笑)。いまだにネタにされてます」
――(笑)。当時、自分の中で思い描いていた将来像って何かあったんですか?
渋川「いやー、あんまりなかったですよね。そのときに楽しいことをずっとやってた感がありますね。役者を始めてから、『俳優っていいな』というか、やっていこうかなとは思ったけど、当時はこういう言い方はアレだけど、すごく真面目にやってたわけじゃないですからね。しがみついてどうこうっていう感じじゃなかったんで。昔から緊張感を持ってはいたけど、ここ最近ですよ、セリフも毎日ちゃんと覚えたりとかするようになったのは。ここ10年くらいかな。だって、この頃ってホントふざけてますよね。スタッフの人も編集の人も、いい意味で自由度が高かったというか」
――じゃあ、モデルの仕事は楽しかったと。
渋川「楽しいしかなかったんじゃないですかね。その流れでチンさん(内藤啓介/写真家)と知り合って、Rotar(ファッションブランド/現在のRotarとは別)もやって」
――モデル時代はsmartだけじゃなくていろんな雑誌に出てたから、忙しかったんじゃないの?
渋川「忙しいは忙しかったですね。でもそのときのほうが贅沢だった気もします(笑)、今より。使えるお金が自由っていうのもあったんでしょうけど。だって、今より家賃の高い一軒家に住んでて、車もバイクも持ってたのに、今は車も持ってないですからね。全部なくなってから、知り合いのところに転がり込んだり、その後、今の嫁さんちに転がり込んで結婚したみたいな感じです。だからモデル時代はだいぶ羽振りが良かったんだと思います」
この記事を書いた人
流行通信社、ロッキング・オン社をへて、1990年に宝島社入社。Cutie編集長ののち1995年にsmartを創刊。2024年に退社し、現在はフリー。
Instagram:@htakada1961
Website:https://smartmag.jp/
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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