「簡単に何者かになれるなんて、そんなの嘘」“バンドマン経由でイラストレーターへ”朝際イコが明かす自己表現の見つけ方ジェニーハイ「超最悪」のアートワークも担当
執筆者: 音楽家・記者/小池直也
川谷絵音との縁
――30歳から自分の道を発見した朝際さんですが、20代を振り返るとどんな時期でした?
朝際:失敗だらけでした(笑)。バンドではファンやライブハウスなどの人たちには恵まれつつ、武道館などの大きなステージに立てなかったし、売れませんでした。ある意味でプロ意識に欠けていたと思うんです。毎日ご飯を作る感覚で音楽を生み出さないと、お金にはならないんだなと感じてましたね。
今は頼まれなくても5時間でも8時間でも絵が描けるし、描かない日がないんですよ。それが音楽ではできていなかった。20代の失敗できる時期、なぜそこまで打ち込めなかったのか……。これが失敗というか反省。
――30歳からイラストレーターを始めるのは遅咲きといえるのでは?
朝際:遅いと思いますよ。今は美大や芸大出身で10代から活動されている方も多いですね。画力で上手い人は世の中にたくさんいるので、それで勝負すると仕事にならない。というか土俵にすら立てない気がするんですよ。だから私はスキルよりもスタイルが大事だと考えています。
――ジェニーハイのシングル「超最悪」のアートワークも担当されていましたが、担当された経緯も教えてください。
朝際:リーダーの川谷絵音さんが、私が組んでいたバンド・ROLLICKSOME SCHEMEのメンバーだったシオンオガミ君の大学の後輩だったんです。川谷さんのバンド・indigo la Endのライブでデモ音源を渡したら自分たちのステージも観に来てくれて、そこからのご縁です。ゲスの極み乙女。の2回目のライブは私たちの初企画イベントでしたし、川谷さんが主催した「エノンのやりたい放題」にも呼んでもらいました。
このアートワークは、どこかで私が絵描きをやっている情報を聞いたのか、突然マネージャーさんからメールをいただいて実現したんです。驚きましたね。当時は音楽系のメジャーなレーベルからのお仕事が少なかったので、一目置かれる機会になったかなと思います。
――他に自身のターニングポイントになった作品は何でしょう?
朝際:最初にメジャーな音楽アーティストとの仕事になった、シンガーソングライター・みゆなちゃんの楽曲「頂戴 -ITADAKIMASU-」のリリックビデオ。もともと知っている方でもあり、ひとつのターニングポイントになりました。
あと今年から漫画『カフヱーピウパリア』を描き始めたことも大きい。漫画を普段からネットに上げたり、コミックマーケットやコミティアなどのイベントに出ていない状態で出版社から声をかけてもらえたんですよ。ちょうど漫画を描こうと画策(かくさく)していた矢先だったし、自分にとっては衝撃でした。だからお金をいただいて漫画を描ける今の状況が本当にありがたくて。
この記事を書いた人
音楽家/記者。1987年生まれのゆとり第1世代、山梨出身。明治大学文学部卒で日本近代文学を専攻していた。自らもサックスプレイヤーであることから、音楽を中心としたカルチャー全般の取材に携わる。最も得意とするのはジャズやヒップホップ、R&Bなどのブラックミュージック。00年代のファッション雑誌を愛読していたこともあり、そこに掲載されうる内容の取材はほぼ対応可能です。
Website:https://smartmag.jp/
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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