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井上ヤマトは“ファッション界の大谷翔平”なのか?モデル、DJ、華麗なる人脈…“ファッションの本場”も認める男の半生に迫る

執筆者: ライター/TOMMY

井上ヤマトは“ファッション界の大谷翔平”なのか?モデル、DJ、華麗なる人脈…“ファッションの本場”も認める男の半生に迫る

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ファッション、アート、ミュージックなど、シーンの最先端で話題のブランドやコレクション、BIGアーティストのSNSなど、やたらと姿を見かけるこの男、井上ヤマト。彼は、モデル? ミュージシャン? タレント? 世界中に約390万人ものフォロワーを抱えるこの新人類の正体を明らかにすべく、インタビューを敢行した(本記事はsmart1月号未掲載インタビュー、未掲載カットを含む井上ヤマトインタビュー完全版です)。

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井上ヤマトができるまで

井上ヤマトは“ファッション界の大谷翔平”なのか?モデル、DJ、華麗なる人脈…“ファッションの本場”も認める男の半生に迫る

――今回は5つのテーマに分けて「井上ヤマトとは何者なのか?」を掘り下げていきます。まずはテーマ1は“井上ヤマトができるまで”。これまでの経歴を振り返りつつ、各時代でご自身にとってエポックメイキングだった出来事などをお話しいただきます。どんな少年時代を送っていたのか教えてください。

井上ヤマト(以下、ヤマト)8歳上の兄がいるので、年上たちの中に混ざって外遊びすることが多くて、明るい子どもだったと思います。それと3歳上に姉もいるので、姉の友だちの女の子とも遊んだりとか。当時住んでいたマンション内にコミュニティがあったので、その中で「今日はみんなで野球やろうぜ」とか「今日はカードゲームの日!」みたいな感じで、年齢や性別に関係なくみんなで遊んで過ごした少年時代でした。

――その頃の宝物ってなんでしたか?

ヤマトうわ、なんだろう……ちょっと待ってください。ずっと大事に持っていたのが父親からもらった(ジョン・F・)ケネディ大統領がデザインされたアメリカの50セント硬貨かなぁ。つい最近、また実家で発見されたので、ゴルフをする際のマーカーとして愛用しています。

――父親からのプレゼントを今も大切に持っている息子。良きエピソードです。続いては中学時代。

ヤマトその頃はヤンチャするのが好きでした。別に不良とかではなく、なんかワルな雰囲気があるヤツが格好良いみたいな感覚ってあるじゃないですか、思春期特有の。小学4年生の頃からサッカーもしていてクラブチームに所属していたので、そっちの仲間もいましたが、いろいろなジャンルの人たちと遊ぶのが好きだったんですよね。それで、そういった先輩や友だちと遊びまくっていた結果、中2の夏にオーストラリアに強制的に留学させられることに……。

――え!?

ヤマト日頃の生活態度を見かねた親に「海外旅行に行くよ」と言われて、電車で羽田空港に向かったんですが、なぜかそこには僕と母しかいないんですよ。不思議に感じつつも「先に空港に行ってるのかな?」と納得して羽田空港に着いたら、前からCAさんが近づいてきて「ヤマトくんですか? こちらです」って。もう完全にパニックなワケですよ。後ろを振り返れば、母がバイバイって手を振っていて。それで気づいたらオーストラリア。夏休みの間と、日本で新学期が始まってからもしばらくいたので、2カ月くらいいましたかね。

――当時は英語も喋れ……

ヤマトなかったです!(キッパリ)。しかも当時の自分は海外に対しての興味や関心を全く持ち合わせていなかったので、ホームシックになっちゃって。「家に帰りたいし、友だちと遊びたい」みたいな感じで。そのときに初めて、親のありがたみを感じました。ちゃんと感謝しなきゃなって。そのときのことは鮮明に憶えていますし、今も変わらず自分の中にある想いです。

――ちょっと大人になって帰国したヤマト少年。その頃には、ヤンチャも少し落ち着いた感じ?

ヤマトヤンチャは落ち着いたんですが、「当時の学力では進学できる高校がない」という問題が発生しまして……ちょっとそれはヤバイなと。それで、夏休みを終えた2学期からは授業中も寝ないで真面目に勉強するようになりました。授業で挙手したりするのも恥ずかしかったんですが、ここでやらなきゃ後がないと頑張って、無事に高校にも進学。そしたら地元でもメチャクチャ上手くて有名だった先輩たちがサッカー部にいたので、「とりあえずコミュニティ作りにはサッカー部に入るしかないな」と覚悟を決めて入部しました。

――クラブチームにいたし、結構活躍していたのでは?

ヤマト夏のインターハイには出場しました。レギュラーメンバーではなくベンチでしたが、一応、経歴的には出身校で初の全国大会出場チームの選手となっています。ただ実感もあまりなく「なんか出れちゃった……」みたい感じでしたね。

――話を聞いてると、ある時期からまさに“人が変わった”ように感じます。

ヤマトマジで変わったと思います。サッカー部の監督は文武の両方においてすごく厳しい人で、それまでの180度曲がっていた性根(しょうね)を叩き直されましたし、人間性は鍛えられたかなとは思います。

――当時はどんな将来の夢を持っていましたか?

ヤマト幼少期から変わらず“エンターテイメントの世界で生きていきたい”とはずっと思っていました。

――高校生までのヤマトさんが1番影響を受けた人物やモノ・コトってなんでしたか?

ヤマト1番影響を受けたのは、ずっと近くで見ていた親父かもしれませんね。彼自身が自由人だったし、僕が末っ子ということもあってか「自分がやったことに対しては自分で責任取りなさい」という方針で自由に育てられました。

――なるほど。高校卒業後は大学に進学?

ヤマトですね。当時のバイト先には帰国子女など英語を喋れる人が多かったので、海外や外の世界に対する意識が徐々に強くなっていって。2度の海外留学を経て、卒業後はフリーランスに。

――留学先はアメリカですか?

ヤマト中学時代の留学経験が楽しかったので、大学時代もオーストラリアへ。その後、ハワイに留学しました。そのへんで既に英語も日常会話なら喋れるレベルになっていました。中学レベルの英語もまともにできないくらいだったので、自分で言うのもなんですが、マジで頑張りました!

井上ヤマトは“ファッション界の大谷翔平”なのか?モデル、DJ、華麗なる人脈…“ファッションの本場”も認める男の半生に迫る

――この留学で得た経験も、今のヤマトさんを形成するにあたってかなり重要なのでは?

ヤマト間違いなくそうだと思います。勉強しなくても意外とイケるぞって思いました!

――(笑)。話を伺っていて感じましたが、ヤマトさんは努力の人なんですね。向こうではどう過ごしていたんですか?

ヤマト努力してきたとは思っていないんですけどね。向こうでは「海外に来てまで日本人同士でツルんでどうすんの?」と他の日本人留学生たちに疑問に感じ、僕1人だけ外国人コミュニティの中に入っていって。日本語を話しちゃうと語学も上達しないし意味がないということは、中2で留学したときに既に学んでいたので。

――それは大学何年生のとき?

ヤマト新型コロナウイルスでパンデミックになる前の大学2年次で、1年間休学して行きました。本当は向こうの大学にも通いたかったんですが、「井上くんTOEICやってる?」と聞かれて「TOEICってなんですか?」と答えたら、「じゃあ無理だね」って(笑)。なので現地の語学学校も自分で探して。

――行動的ですね。フリーランス時代は主にどんな活動をしていたんですか?

ヤマトモデルをちょっとかじりながら変なバイトをしたりとか……。

――非常に気になるところですが、聞いちゃっても問題ないやつですか?

ヤマト(笑)。いや、別に闇バイトとかじゃないですよ! 普通にSPとか。海外セレブが来日した際の映像とかに映っているアレです。友だちから「ちょっと俺の代わりに、スーツ着て、羽田空港に行ってくんない?」と頼まれて代打でいったらSPでした(笑)。あとはウルトラ(・ミュージック・フェスティバル)のVVIPルームのセキュリティとか。そんな感じでバイトとモデルの仕事があればやりつつ、大学生をしてました。

――モデル事務所に所属しなかった理由は?

ヤマト当時は事務所に所属するためには、まず何をすればいいのかが全然分からなくって。そんなときに、雑誌「メンズノンノ」のモデルオーディションを見つけて応募しました。

――そこで、2020年に新設されたTikTok賞のファイナリストに選ばれたんですよね。

ヤマトはい!ちょうどそのモデルオーディションを受けていたときに、同じくファイナリストに選ばれた10名の中にいた大平修蔵と仲良くなって。それで彼に誘われて今の事務所(スターレイプロダクション)に所属しました。

――事務所に所属するのとフリーでは違いますか?

ヤマト全然違います。まずしっかりお仕事の方向性やスケジュールをマネジメントしてもらえるのが大きいですし、ファッションや音楽、アートなどを学ぶキッカケにもなったし、社会のマナー的な部分も得られたので、事務所に所属できてすごく良かったと感謝しています。

――留学を経て学んだことの中で、自分にとって財産になったと感じるものってありますか?

ヤマト多様性とは何か?ということを直接、肌で感じられたのは大きいと思います。大学時代のオーストラリア留学でホームステイさせてもらったホストファミリーが、インド人の家族で、かつシングルマザー。出される食事が毎日カレーで飽きたのもあって、あるとき「キッチンを借りて料理がしたい」と伝えてみたんです。

――自炊するなんて良い心掛けじゃないですか。

ヤマト僕も「もちろんOK!」と快諾してもらえるとばかり思っていたら、「男性はキッチンに立つもんじゃない!」と怒られてケンカになっちゃって。でもそれが相手の国の文化や価値観からしたら当たり前のことなんですよね。そこで自分の価値観をぶつけず、相手の多様性を尊重することがいかに大事かを知りました。「相手に自分を好きになってもらうためには、まずは相手のことを自分が好きになろう。I LOVE YOUから始めよう」。そう考えるようになりました。相手のことをリスペクトしつつコミュニケーションを取る。この経験は今の自分の財産になっています。

――言葉が喋れるって重要なんだなと。

ヤマトもちろん喋れるにこしたことはありませんが、相手の考え方や価値観を受け入れる自分自身の体勢ができているかどうか。こっちのほうがはるかに重要だと思っていて。言語はあくまでも、そのための手段なので。

――なんとなく“コミュニケーションオバケ”の萌芽が見えてきました。相手と真剣に対峙する内に自然とそうなっていったというか。

ヤマトそうかもしれません。人種や言葉を越えたコミュニケーションが取れたたからこそ見えてきたところかもしれないですね。

この記事を書いた人

メンズファッション誌やモノ系のWEBメディアを中心に、ファッション、モノ、アイドル、ホビーなどの記事を執筆するライター/編集者。プライベートでは漫画、アニメ、特撮、オカルト、ストリート&駄カルチャー全般を愛する。

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