「初めて会った猪木さんは、カッコよかったな~」逆三角形の上半身に全身茶色コーデ……藤原喜明がアントニオ猪木に惚れた日
執筆者: smart編集部
燃える闘魂・アントニオ猪木がこの世を去り、一年が過ぎた。いまだにその存在の大きさが叫ばれる猪木だが、最側近の一人であった“藤原組長”こと藤原喜明が猪木との愛憎秘話を明かした『猪木のためなら死ねる! 最も信頼された弟子が告白するアントニオ猪木の真実』(宝島社)が話題だ。smart Webでは、猪木との50年にわたる付き合いを経て、その死が「母の死より深かった悲しみ」であったと吐露した同著の「序章」を3回に分けて抜粋してご紹介する。(全3回の2回目/1回目に続く)
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野生の勘のようなものもすごかった
俺にとっても長いレスラー人生で、いちばん思い出深いのはあの道場にいた頃だな。今から考えてみたら大変だったけど、あれは最高の思い出だった。練習をガンガンやって、飯はたらふく食って、食わされて。怒鳴られて殴られて、練習終わればみんなで笑ってな。しんどかったけど、でもいい時間だったよね。
猪木さんは忙しいから道場にいつ来るかわからないんだよ。だいたい夜中が多かったな。会社に行って、いろんな人に会って、イベントだなんだあるから、時間が夜中しかないんだ。「俺だったらこんな時間に道場に来ねえで酒飲んでるんだろうな」って思うような時間でも、ちゃんと車で道場に来るんだよ。当時、猪木さんは茶色のキャデラックに乗ってたんだけど、夜中にブーンと車の音がすると、「あ、猪木さんが来た!」って、ちゃんと着替えて練習に付き合えるようにしてね。いつ来ても練習パートナーをやらなきゃいけないわけだから。
こっちは昼間練習してさ、いろんな雑用も終えて、「あ~、やっとのんびりできる。寝ようかな」と思うと、でっかいキャデラックの音がして、「あ~、来た! こっからまた練習だ」って感じだったね。それでスクワットから付き合うんだよ。俺は昼間さんざんやったんだけど、また夜中にもやる。
そして基礎運動やストレッチなんかをみっちりやったあと、必ずやるのがスパーリングだよ。猪木さんとのスパーリングはキツいんだけど、やっていて楽しかったよ。関節技に関して、俺はもともと工業高校の機械科卒業で応用力学が好きだったからさ、「どうやればテコの原理を使って少ない力で極めることができるか」っていつも考えながらやってたんだよ。俺はしつこいからさ。ゴッチさんから教わると、「もっといい方法はないのかな?」って考えるんだよ。あとは「ラクして勝つにはどうしたらいいか」とかな。そんなことばっかり考えて関節技を研究していたんだけど、猪木さんの場合は本能でやってたような感覚がある。
あとは実戦、体で覚えたんだろう。日本プロレスの一部の選手たちが道場やっていた、いわゆる“セメント”っていうやつだよな。大坪飛車角さんをはじめ、寝技が強い人たちとさんざんスパーリングをやって、痛い思いをして覚えたんだろう。猪木さんはスピードもあったし、野生の勘のようなものもすごかったよ。だから理にかなってはいるけれど、予想外の動きをしてくるんで、スパーリングがすごく面白かったんだ。
そんな感じでひと通り練習が終わると風呂場で背中を流してな。で、猪木さんはまた着替えて帰るんだけど、俺のほうは猪木さんと一緒の練習で頭が緊張と興奮状態だから、なかなか寝れねえんだよ。でも、また次の日は朝ちゃんと起きて練習してさ。
巡業に行ったら行ったでさ、朝早いんだよ。「おい、明日4時に起こせ」って。試合が終わって宿に戻って、洗濯して寝るのは深夜の1時とかでしょ。「3時間しか寝れねえのかよ」と思いつつもちゃんと4時前に起きて起こしに行くと、「よし、走るぞ!」って日が昇る前から走ったりしてね。それで猪木さんは、巡業中でも東京で用事があったりするから、朝早く出発しちゃうんだ。猪木さんは、そんなハードスケジュールのなかでも練習時間は必ず確保していた。それが猪木さんのレスラーとしての姿勢だった。プロレスラーの心構えとしても模範になるような人だったよ。
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