アントニオ猪木が自身の葬式で仕掛けた“イタズラ”。お坊さんが座る椅子がバラバラに……
執筆者: smart編集部
泣きながら「俺より先に死なないでください」って
以前、もう7~8年前かな、俺は酔っ払ってる時に猪木さんに電話して、泣きながら「俺より先に死なないでください」って言ったことがあるんだ。独りでちびりちびりやってたらさ、なんか急に悲しくなってな。涙がポロポロこぼれて、電話したんだよ。「絶対に俺より先に死なないでください」って。そしたら「なんだお前、泣いてんのか? ハハハハ! わかったわかった。死なないから」って、ちゃんと慰めてくれたんだよな。「ハハハハハハ!」って笑ってさ。酔っぱらった弟子からの電話にもちゃんと応対してくれて、だけど、ああ言ってたのにあの人は先に逝ってしまったけどね。歳を取ってからだけど、そんな電話ができる師弟関係だったのは、ホント誇らしいよ。
2020年の3月に猪木さんから「お前もちょっと来い」って電話をもらって、伊豆奥下田の観音温泉に2泊3日で行かせてもらったんだよ。その時、猪木さんはまだ歩けはしたんだけど、息切れがすごくて、ちょっと歩いただけで「ハアハアハア……」ってなってたんだ。現役時代の猪木さんはスタミナ抜群の筋肉だったんだよね。ベンチプレスを200キロでやってたから、力も強かったけどね。腕がぶっといわけじゃないんだけど、すごく機能的な筋肉なんだよ。昔の写真を見ると、いい体してるよな。ヒンズースクワットだけで、こんな太ももだもん。バランスがよくてカッコよかったな。筋骨隆々のヤツは、寝技はそんなに強くないからね。
すごく柔らかそうな筋肉で、今見ると理想的な肉体だよ。だからこそ、ビル・ロビンソンとレスリングの攻防で60分やったり(75年12月11日、蔵前国技館)、藤波(辰巳)さんとのフルタイムも45歳であれをやってのけたわけだからな(88年8月8日、横浜文化体育館)。60分って長いよ。しかも猪木さんはその長い時間でもお客さんを絶対に退屈させないからな。(モハメド・)アリ戦(76年6月26日、日本武道館)の時だって、俺が試合中に「うわあ、このままだと15ラウンドまで行っちゃうぞ。大丈夫かな……」と思ったらさ、ホントに3分15ラウンドやっちゃったからな。たいしたもんだよ。
あの体勢のまま、すごい緊張感のなかで3分15ラウンドだからな。スライディングキックを連発してるっていうことは、腹筋をずっと締めたままだし。それにリングはライトで照らされてるから暑いんだよ。アリ戦は6月末で、当時の武道館は冷房設備もそんなに整ってなかったから、40度くらいはいってたんじゃないの。そこで15ラウンドだからな。それからリングマットも照明で熱いはずなんだよ。ヘタすりゃ皮なんかズルむけになるからね。ホントにたいしたもんだよ。
観音温泉の話に戻すと、泊まったのがでっかい旅館なんだけど、隣にちいちゃめの一軒家の離れがあってさ。猪木さんは、旅館の女将さんに「もうあそこは使ってないから、自由に使っていいですよ」って言われたらしくて、「あの離れの建物を合宿所にするから、お前ここに引っ越して管理人やれよ」って言うんだよ。「たまにレスラーを集めて合宿やろう」とか言うから、「嫌ですよ。こんな山の中に引っ越すなんて」って言ったら、「お前、盆栽やるんだったら、裏には温室もあるからいいぞ」とか言いながら「アハハハ!」って笑ってたけどね。猪木さんはまたレスラーを集めて合宿をやりたいと思ってたんだな。「藤原は料理もうまいんだから、管理人やってちゃんこもつくれ」だからな(笑)。
猪木さんも旗揚げ当時の新日本プロレス道場への郷愁みたいなのがあったのかもしれない。みんなで一生懸命練習したあと、一緒にちゃんこを食べて笑ったりしてな。
(第2回に続く)
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※本記事は発売中の書籍『猪木のためなら死ねる! 最も信頼された弟子が告白するアントニオ猪木の真実』(宝島社)の“序章”の一部を抜粋したものです。
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