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アントニオ猪木が自身の葬式で仕掛けた“イタズラ”。お坊さんが座る椅子がバラバラに……

執筆者: smart編集部

事実を受け止めるだけでいっぱいいっぱい

藤原喜明は、1970年代、全盛期のアントニオ猪木の付き人として常にピッタリと脇につき、危険を伴うような海外遠征に帯同。スパーリングパートナーも務め、晩年はプライベートでも親交を深め、最後の最後まで猪木の最も近くにいたプロレスラーだった。猪木が亡くなった2022年10月1日以降、藤原の初めての試合は同年10月10日に後楽園ホールで行われた「日本プロレス殿堂会」の主催興業『LEGACYⅡ』だった。多くの関係者が追悼コメントを出すなか、この大会で藤原は猪木の死についてノーコメントを通した。そのため、プロレスファンや業界内で「藤原はコメントも出せないほど落ち込んでいる」と心配する声が広まった。

10月10日の後楽園ホールの大会には、俺は試合をしに行ってるわけだから、わざとらしく猪木さんのことをしゃべりたくねえよって。しゃべってた人もいるけど、俺は心で思っていれば、べつに人に言うことじゃねえって考えだから。10月1日に亡くなって、ショックは受けていたけど、わざわざ「マスコミに向けてコメント出さなきゃ」なんて考えない。

猪木さんが亡くなったのは土曜日だったから、週が明けたあと、事務所の人間に言われて、「残念です。たくさんのいい思い出をありがとうございました」って、ホームページで載せた。あんまりペラペラしゃべりたくなかった。言葉に出すと軽くなってしまうというか、こっちも事実を受け止めるだけでいっぱいいっぱいだったからな。

訃報を知ったのは、朝8時ちょっとすぎに電話をもらってね。「亡くなりました」って。あー、来るべきものが来たなと思った。

猪木さんは闘病生活を公開していたこともあって、心の準備みたいなものはある程度できていたけど、いざその日を迎えるとな。うーん……でも、考えようによっちゃあ、ラクになったというかな。病床でかなりつらそうだった姿も知っていたから、亡くなる前の1~2年間は、電話がチリンチリンって鳴るたびに、その報し らせじゃないかとドキッとはしてたけどな。病に冒されてる箇所が心臓だからな。

今から3年ぐらい前かな。猪木さんから「俺はアミロイドーシスっていう難病なんだよ」って聞かされて。これは人に言っちゃまずいんだろうなって思って黙ってた。そしたら、わりと早い段階で公表してたから、言ってもいいのかと。当時、猪木さんは77 歳だったんだけど、「身内で77歳以上生きたのは一人もいねえんだよ」って言われて。でも、猪木さんは79歳まで生きたから、身内では一番の長生きだった。「難病だから身内はみんな(自分がアミロイドーシスに罹っていると)気づかないうちに逝ってたのかなあ?」みたいなことを猪木さんは言ってた。

結局、死因は「アミロイドーシス」じゃなくて、どこかの臓器不全ってことなんだけど、アミロイドーシスってなんだろうと思って調べたんだ。そしたらタンパク質がいろんな臓器に付いて機能障害を起こす病気で、猪木さんは心臓に付いてたんだな。最後は心臓の機能が20%ぐらいしか働いてなかったという報道もあったよな。

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