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大学を休学し22歳の時にベトナムで起業。ベトナム版飲食店オーダーアプリ「Capichi」を創業した森大樹氏インタビュー

大学を休学し22歳の時にベトナムで起業。ベトナム版飲食店オーダーアプリ「Capichi」を創業した森大樹氏インタビュー


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大学を休学し22歳の時にベトナムで起業。ベトナム版飲食店オーダーアプリ「Capichi」を創業した森大樹氏インタビュー

執筆者:

Capichi代表の森大樹

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コロナ禍以降、日本でもUber Eatsなどのオンライン注文・配達プラットフォームの需要が高まった昨今。日本同様、東南アジアの国々でもそのようなアプリの需要が増し、独自の進化を遂げています。今回smart Webで取材をしたのは、ベトナムを中心に「Capichi」というアプリを開発し、サービスを展開している森大樹氏。大学を休学し、ベトナムのIT会社で働いた後に現地で起業をした森氏に、学生時代に海外を目指した理由や起業を目指す若者へのアドバイスを伺いました。

起業へのきっかけは先輩の何気ない一言。それが自分の人生を大きく変えた

――森さんは20代という若さでベトナムで起業をされていますが、いつから起業というものを意識していたのでしょうか?

 大学入学前は起業についてはまったく考えたこともありませんでした。そんな僕が起業を意識し始めたきっかけは二つあって、一つは「東北地方での震災ボランティアの経験」もう一つは「体育会系の部活を辞めた頃に先輩から言われた一言」でした。

東北地方でのボランティアの経験というのは、僕が通っていた神戸大学は阪神・淡路大震災での被災経験もあるため、震災ボランティアなどを積極に行っていて、知り合いの先輩がそのボランティアの運営に携わっていました。その先輩から「ボランティアに参加しないか?」と誘われ、最初は参加者として、2年目からは運営スタッフとして活動を行なっていました。

ボランティアってすごくいいことだし、必要なものではあるんですが、継続性のなさのようなものを感じてもいました。僕たちが行かなくなってしまったらボランティアの活動は終わってしまうんです。もちろん関わってきた人たちがいるのですべてがゼロになるわけではないですが、本当に世界の問題を解決したり、社会的な弱者や助けを必要としている人たちを救おうと思ったら、ボランティアではなく、お金が回るようなビジネスを作り、社会の仕組みごと変えないといけないんじゃないかと思ったんです。

森大樹氏が東北地方でボランティアに参加したとき
東方地方でのボランティアに参加したとき

――もう一つの「体育会系の部活を辞めた頃に先輩から言われた一言」とは?

 小さいころからやっていた野球で負った怪我を抱えていて、その怪我と戦いながらまで部活を続ける意味はないなと思い、大学の部活を辞めたんですが、そのあとやりたいことが見つからなくて。そんなときに、先ほどの先輩が「やりたいことがないなら起業でもしたらええやん」って言ってきたんです。それまで起業なんてまったく考えていなかったし、自分にできるとも思っていなかったんですが、それから少しずつ興味を抱くようになって、起業について調べるようになりました。

――その先輩は起業をしていた方なんですか?

 当時は起業していなかったですね。彼は軽い気持ちで僕に言ったのかもしれないんですが、それが僕にとっては大きなきっかけになりました。

――その頃からどんなことで起業をしたいと具体的な目標はあったんですか?

 当時は起業というよりも、なにかしらのサービスを作ってお金を稼いでみたいと思っていました。アルバイト経験しかない自分にできそうなことはなんだろうと、お金を稼ぐためのアイデアを友達と相談したり、アイデアノートを作ったりしていましたが、話すだけで実際に行動には移しませんでした。

休学して海外を選んだのは、「自分の世界を広げたい」という思い

――その当時から起業するなら海外でという思いがあったんですか?

 まったくありませんでしたね。むしろ海外に住みたくないと思っていました(笑)。そう思っていたのはバックパッカーの経験があったからなんです。大学1年の終わりにタイ、ラオス、ベトナムを陸路で移動する旅をし、大学2年の夏休みにはインドネシアでマングローブの研究をするプログラムに参加するついでに一人で前のりして、インドネシアを旅していました。バックパッカーって楽しいんですけど、苦しいこともたくさんあって(笑)。だからこそ海外なんて、もっと言えば東南アジアになんて絶対住みたくないって思っていましたね。

森大樹氏がパックパッカーで訪れたインドネシア
バックパッカーをしていた頃に訪れたインドネシアの山奥で

――それがなぜ休学して海外に渡るという選択になったのでしょうか?

 大学2年の後半から東京や大阪のスタートアップ企業でインターンとして働き始めたのですが、そこで働いているインターン生も正社員の人たちも、もちろん自分も含めて、みんな同じような「型にはまっている」ように見えてしまったんです。同じレールの上を歩いているような感じです。このまま大人になって就職したら、きっと自分もそのレールを歩く人になり埋もれていってしまう。それはつまらないし、嫌だなと思いました。そのインターンシップには休学して参加してくる人も多く、「休学」っていう選択肢があることを改めて知ったんです。休学して、若いうちに自分の時間を自由に使えるっていいなという思いと、他の人がやっていないことをして自分だけの世界を持ちたいという思いがあり、休学することを決めました。

海外を選んだのは、休学して自分のやりたいことだけをしてしまうと「自分の世界が広がらないな」と思ったからです。「このまま就職したらもう海外には住むことはないかもしれない。だったら学生のうちに、住みたくないと思っている海外に1年くらい住んでみよう。そうしたら価値観が変わるかもしれない」と。

元々学校生活や授業というものがあまり好きではなかったので、留学という選択肢はありませんでした。その頃は起業に興味があったので、海外に住みながらビジネスの勉強ができれば一石二鳥だなと思いました。

――絶対住みたくないと思った東南アジアのベトナムを選んだのはなぜですか?

 理由は二つあって、一つは先進国は求人を見ても雑務の仕事が多く、ビジネスを学ぶ機会が得られそうにもなかったんです。それに対して東南アジアはエクゼクティブな求人も多く、ビジネスを学べるうえ、今後伸びると言われていた東南アジア市場を体感でき、ビジネスのヒントや起業のチャンスが生まれるんではないかと思ったこと。

もう一つは、大学在学中にアルバイトをしていた居酒屋にベトナム人の仲間がたくさんいて、どうせ東南アジアを目指すなら彼らの生まれ故郷に行って、もっと深く知りたいなと思ったからです。

――仕事は事前に見つけたうえでベトナムに渡ったんですか?

 そうですね。アイセックという世界中の若い学生と、インターンに来てほしい企業やボランティア団体を繋げるNPO法人を通してハノイのIT会社を見つけました。

学生が海外で起業する。それだけでも強みになる

――ハノイでの会社員生活はいかがでしたか?

 最初の給料が月額500ドルくらいで、家賃を払ったら250ドルくらいしか残りませんでした。もちろん今よりも10%くらい物価が安い頃でしたが、基本的にローカルの飲食店でしかご飯を食べなかったし、物欲がなかったから生活は余裕でしたね。遊ぶのももっぱらベトナム人とです。日本人と遊ぶとお金がなくなってしまうので(笑)。

森大樹氏がハノイで最初にホームステイした部屋
ハノイに来て最初に暮らしていた部屋

――ベトナム人と付き合っていくことの大変さなどはありましたか?

 お金を受け取るときに片手で受け取るのは失礼だと言われたりしたことはありましたが、その程度の文化の違いを感じるだけで、そこまで困るようなことはなかったですね。育った環境が異なれば価値観が異なるのは当たり前ですしね。

――ベトナムで働き始めてから起業しようと至ったきっかけはなんだったんですか?

 本来ベトナムには1年間だけ滞在予定でした。1年目の後半にこのままベトナムに残ろうか日本に帰ろうか迷っていたのですが、ベトナムに残り、事業を起こしてチャレンジしてみたいという思いもありました。そんなときに勤めていた会社のベトナム人社長とご飯に行く機会があって、自分の迷いを相談したんです。そうしたら社長が「もし森くんが起業をするなら、僕が最初に投資をして応援するよ」と言ってくれたんです。それで即決しましたね。当時その会社も業績が伸びていた頃で、こういう支援をしてくれるのはそうそうあることではないし、タイミングにも恵まれているなと思って。

それにもしこのオファーを断って日本の大学に戻り、卒業してからでは遅くなるなと思ったんです。学生のうちだとメリットも多いですしね。

――例えばどんなメリットがありますか?

 「大学を卒業してからベトナムに来て起業します」というのと、「学生が起業をします」というのでは、イメージが異なります。僕が大学3年の夏休みで休学して、現地のIT会社で働いていると知るとおもしろがってくれたり、興味を持ってくれる会社経営者の方もたくさんいました。学生っていうだけで周囲の反応が違うんです。普通に日本の大学を卒業して就職したら、話もできないような方とも話す機会を得られましたし、学生という特権を使わないのはもったいないなと思いました。

Capichi創業当初のオフィス創業当時のオフィスの様子

――ベトナムで起業してみて大変だったことはありますか?

 僕が日本の会社で働いた経験がないので日本との比較はできませんが、これまでの人生での経験を踏まえると大変だったことはたくさんありました。一番苦しんだのは「人が辞めていくこと」です。僕にとったら会社を辞められるのは恋人に振られるようなもので、最初の頃は精神が削られるような思いをしていました。

――以前ベトナムのピザチェーン店「Pizza 4P’s」の益子さんに取材をした際も同じようなことを話していました。

 ベトナム人って一つの会社に留まろうっていう意識があまりないかもしれません。お給料が少しでも高いところへ行ってしまう人もいるし、「今の会社は好きだけど自分が成長できない」と言って辞める人もいます。理由はわかるんですが、「辞められてしまう僕だってつらいんだよ」って思っていました(笑)。

他には社内で僕に反感を持っていた人が、敵対勢力を作ろうとしていたということもありました。人事の経験が豊富な人材を少しずつ雇ったりして組織を整え、社員が満足し、楽しく働ける環境を作る努力をしたおかげで、今はいいチームになりましたし、離職率も減りました。

Capichi初めての忘年会2023年1月、旧正月前に初めて忘年会を行った

コロナ禍の逆境があったからこそ、今のサービスが誕生した

――森さんは飲食店と契約をしてフードデリバリーサービスのアプリを展開していますが、コロナ禍で大変だったことはありますか?

 もともとは飲食店の雰囲気や料理の動画をユーザーがシェアし、それが他のユーザーのお店探しに役立つというサービスを展開していて、今のサービスはコロナ禍で生まれたものなんです。コロナ禍になりベトナムがロックダウンになると飲食店の営業が禁止され、以前のサービスを使う人がいなくなりました。

コロナ禍で大変なのは皆同じですし、少しでも役に立てることはないかと飲食店に話を聞いて回ると、店内飲食ができないからデリバリーを始めたけど、注文を受ける際にミスがあったり、そもそもネットオーダーに対応していないといった声がありました。

当時はロックダウンはすぐに終わると思っていたので、開発に時間をかけても使ってもらえないと考え、「飲食店が困っているタイミングで必要とされているシステムを届けたい」と3日で開発可能な最低限の内容を盛り込んだものを作りました。

その後も、政府のロックダウンの方針は日々変化するうえ、措置が発表された翌日から施行というような急なものもたくさんありました。そのたびにシステムも変えていかないといけなかったり、一時期はデリバリーすらできなくなったりもしましたが、再開されると一気にオーダーが入り、サーバーがパンクするという事態になったこともありました。

僕たちが開発したサービスはむしろコロナ禍で追い風になりましたし、ベトナム在住の日本人の間で一気に広まっていったのも事実です。しかし、当初は赤字だったし、コロナが落ち着き、規制が解除されるとオーダー数が一気に減りました。それでも周囲の日本人からは「めっちゃ儲かっているよね」とか「成功していてすごいね」とチヤホヤされたこともあるんですが、実情は伴っていなかったので悔しい思いをしましたね。周りが思い描いているような状況ではなくて、そのギャップが苦しかったです。今は日本人だけでなく、ベトナム人はもちろん、ベトナム在住の外国人などたくさんの人に使ってもらえるようになりました。

Capichiのロゴ

――ハノイの他にホーチミンにも事業所があるそうですね。

 ホーチミンにもオフィスがありますし、今後はタイやマレーシア、そして日本にも展開していく予定です。

――日本もベトナムと同じようなサービスなんですか?

 ベトナムではフードデリバリーとオーダーシステム、レジのPOSシステムを展開していますが、日本では観光地などにQRコードなどを使ったオーダーシステムを展開する計画です。

僕は奈良県の法隆寺のある町で生まれ育ったんですが、田舎の観光地ってなかなか英語ができる人がいなかったり、そもそも人も少なくて観光客を受け入れたくても受け入れ態勢が整わない現状があるんです。そこに対して多言語で展開することが可能な僕らのサービスは、外国からの観光客を受け入れる手助けになるのではないかなと思っています。

――東北のボランティアをしていたときに抱いていた「お金が回るようなビジネスを作り、社会の仕組みごと変えないといけない」につながっていきそうですね。

 そうですね。ベトナムで始めた事業ですが、日本に逆輸入して貢献していけたらと思っています。

若いからこそ失敗を恐れずに経験をしてほしい

Capichi代表の森大樹

――日本でも起業をする若者が増えてきています。起業をするうえでのアドバイスはありますか?

 基本的な株式の仕組みなどは勉強をした方がいいと思います。あとは諦めないことですね。やると覚悟を決めたからには、苦しいこともたくさんあると思いますが、諦めずに続ければうまくいくと思います。僕も大変なことはたくさんあったけど、それでもこうやって生きてこられて、少しずつ進んでいけています。

若くして起業したいなら、とにかくやってみるのが一番です。起業するためにはスキルを磨いてから起業しようという人も多いと思いますが、起業のスキルは起業しないと身につきません。必要な準備をしたら実際に起業してみて、成長の中で学んでいけばいいと思います。それが許されるのは若いうちだけ。失敗してもそれが経験になります。若いうちだからこそ、失敗を恐れずに経験をしてほしいです。

――例えばなにかにチャレンジしてうまくいかなかったときや、思い悩むことがあるときの乗り越え方はありますか?

 僕の場合は、どうしても思い悩むときは、とにかく散歩をしていました。雨のなか、歩きながら泣いていたこともありますが、それでいいんです。周りはそんなに自分を見ていないし、歩いているうちにすっきりして、またやる気が湧いてきます。

もしもっと大きな悩みを抱えている場合は、今いる環境を変えてみるのもいいんじゃないかなと思います。今いる環境がすべてではないですし、例えば日本で苦しんでいるのであれば海外に行ってもいい。海外に住んでいると、日本では出会わないような少し変わった日本人にもたくさん出会います。でも海外にいることでいきいきしていたり、輝いているんですよね。自分の生きる場所は、世界のどこかにはきっとあると思います。

 

Capichi代表の森大樹

Profile/森大樹
1997年生まれ。奈良県出身、神戸大学卒業。大学在学中の2017年から大学を休学してベトナムの現地ITベンチャーで営業・マーケティングとして働き始める。2019年、22歳のときに株式会社Capichiを創業。ベトナムの4都市とタイ、マレーシアでフードデリバリーサービスやモバイルオーダーシステムなど飲食店DXサービスを開発・展開している。

撮影=小嶋淑子
取材・文=相馬香織

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この記事を書いた人

相馬香織

相馬香織

映画配給会社を経て、出版社で企画立ち上げ、海外取材などを数々こなし編集長に就任。現在はベトナム・ハノイを拠点に、日本、韓国を飛び回りフリーランスの編集者として活動中。趣味はアクセサリー製作。インスタではベトナム情報をメインに発信中。

Instagram:@____kaori.soma

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