「甲本ヒロト、鳥肌が立った音楽の原体験を語る」ニルヴァーナ、レッチリ…ロックの原点に見た“わけ分かんない感動”の正体
執筆者: 編集者・ライター/高田秀之
雑誌smartが創刊30周年を迎える2025年。そのアニバーサリーイヤー特別企画として、1990年代に数多くsmartの表紙を飾っていただいた方々に当時の話を伺う連載『Back to 90s』。最終回のゲストは、10月29日にニューアルバム『JAMBO JAPAN』をリリースするザ・クロマニヨンズの甲本ヒロト。1987年にザ・ブルーハーツでデビューし、ザ・ハイロウズを経て、40年近く音楽シーンでトップを走り続ける甲本ヒロトが見た90年代とは?
目次
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中学入学する前に買ってもらったラジオで“運命の出会い”

――smart30周年企画として、今日はいろいろ昔話をお伺いします。
甲本ヒロト(以下、ヒロト):いいですよ。覚えてないかもしれないけど(笑)。
――90年代の音楽シーンと聞いて何が思い浮かびます?
ヒロト:えーっと。90年代って、何があったかな。
――ニルヴァーナ、パール・ジャムなどのグランジが流行ったのが1989年から90年です。
ヒロト:おお。ニルヴァーナ、聞いてましたよ。パール・ジャムはそんなにだったけど。
――レッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)とかレイジ(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)のいわゆるミクスチャーロックがその後に流行りました。
ヒロト:あ、レッチリのほうが後なの? でも「Give It Away」って、80年代の終わりぐらいじゃない?(アルバム) 『Blood Sugar Sex Magic』の曲。僕、あれでどかーんときて、すごいバンドがいるなあと思った。ちょうど、ブルーハーツでアメリカを動いていたときに、ホテルで音楽番組を垂れ流していることが多くて、興味もなくボンヤリ見てたら、「Give It Away」と「Smells Like Teen Spirit」がほぼ同時期に流れたの。この2つだけ、めちゃくちゃかっこよかった。
「Give It Away」を見て、「この人たちとは話が合いそうだな」と思った。ブルースめちゃ好きなんだろうな、あと黒人のソウルとか、ルーツミュージックの人たちだなと思って、で、アルバム買ったらやっぱりロバート・ジョンソンの曲をやってたし、だよなぁって。だからレッチリは同世代の仲間という感じがした。
――ニルヴァーナはどうでした?
ヒロト:かっこいいと思ったよ。チアリーダーみたいな女の子が踊るMVがあるんだけど、それがめちゃよかった。ああ、この人たちも冗談好きなんだなぁと思って。歌詞の内容も冗談ぽかったし。
――ライブは見たんですか?
ヒロト:ニルヴァーナは見てないんですよ。レッチリは見た。素晴らしかったね。ジョン・フルシアンテがいるときがいいなあ。あの人は歴史に残る名ギタリストだよ。
――ブリットポップのブームもありましたよね。オアシスとかブラーとか。
ヒロト:ブラーはそんなにハマらなかったんだけど、いくつか面白いのがいたんだよ。プライマル・スクリームとかはいつ頃? プライマルも好きだし、あとステレオラブも好きだったな。ああいうアナログな感じが。あと、何だっけな……マニック・ストリート・プリーチャーズとかはもうちょっと前か。ちゃんと気づいてなかったけど。90年代、いいね。
――80年代ってロックンロールがあまり元気が良くなかったけど、90年になる前にまた元気になったというか。
ヒロト:そんな感じしますね。でも僕、あんまり時代は関係ないんですよ。あいつは歳とってるから昔の曲ばっかり好きなんだって言われそうだけど、12歳から昔の曲が好きだったから。12歳のときに当時流行ってる曲になんの興味もなかったけど、昔の60年代の曲を好きになって、そこから遡ってブルースを好きになって、どんどんどんどん遡っていくわけで。だから僕の感覚は12歳のときと変わってないと思います。
――中学のときにラジオから流れたマンフレッド・マンを聴いて感動したっていうエピソードですよね。
ヒロト:分かりやすいようにマンフレッド・マンって言ってるけど、本当のところ、何だったかはあやふやなんだよ。僕が衝撃を受けたときに、自分が音楽に衝撃を受けたとは気がつかなかったの。だって音楽に興味なかったんだもん。保育園のお遊戯の時間ってやつが耐えられなくて、あの屈辱感から始まって、そういうものが嫌いだった。人前で歌を歌うなんてみっともない、言語道断。踊ったり歌ったりなんて冗談じゃない、あんなものは罰ゲームだと思ってた。
だから外国の歌がラジオから流れてきても、これは在日外国人のためのプログラムで僕には関係ないと思って、全く聞いてなかった。それが、中学に入学する前に買ってもらったラジオをつけてたら、何かが流れてて、そしたら突然涙が、直角にビシャーッと出始めて、身体中に鳥肌が立って、畳をかきむしって 「ギャーッ」って叫んでて。ああ、とうとう気が狂ったなと思った。ま、後から考えたら単純に感動してたんだよね。
――(笑)。
ヒロト:それだけのことなんだけど、そんなに感動したことがなかったから。例えば、悲しい物語で泣いたりするのは感動の涙じゃなくて悲しみとか同情の涙でしょ。あとはスポ根アニメとかで主人公に感情移入して泣いちゃうとか。そういうのはあったけど、ただ意味もわからず突然ガーッとくる本物の感動を味わったのは初めてだったんだよ。
それで、番組の最後に「60年代のイギリスっていいですね」ってDJの人が言ったから、“60年代のイギリス”っていうキーワードだけを頼りにレコードを探しに行って、お目当てのビートグループに出会うんですよ、マンフレッド・マンとか(ローリング・)ストーンズ、ビートルズ、アニマルズ。そこからチャック・ベリー、ボー・ディドリー、マディ・ウォーターズに遡っていくんですけど。そのときは、60年代イギリスというキーワードしかないから、ロックだけじゃなくポップスもいっぱい聞いたんだけど、それもまた面白くて、余計広がった。それが僕の今のわけのわからないセンスに繋がってると思う。
――当時のポップスって?
ヒロト:トゥインクルっていうバブルガムポップみたいな女性歌手とか、ちょっと奇天烈なジョナサン・キングとか。それから60年代のイギリスの音楽はアメリカにルーツがあるんだなって分かって、アメリカの音楽も好きになったし。90年代からこんな話になったけど、何が言いたかったかというと、何年代って感覚は僕にはもともとないっていうこと(笑)。
――でも「俺は昔の音楽しか好きじゃないのかな」と思ってたらパンクが出てきて、同時代の衝撃を受けたんですよね?
ヒロト:そう!ビックリした。おんなじことが起きたのね、やっぱりラジオを聞いててガーンってきて、僕の体が同じように反応したんです。明らかに60年代じゃない、今の音なのにガンガンきてる。なんじゃこりゃって、奇跡が起きたと思って、それがセックス・ピストルズだった。
この記事を書いた人
流行通信社、ロッキング・オン社をへて、1990年に宝島社入社。Cutie編集長ののち1995年にsmartを創刊。2024年に退社し、現在はフリー。
Instagram:@htakada1961
Website:https://smartmag.jp/
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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