「オレがGMなら星野は監督にしない」高田繁が考える“闘将”星野仙一の功罪
執筆者: ノンフィクションライター/長谷川 晶一
高田繁が考える「星野仙一の功罪」とは?
2018年1月4日、星野は70歳でこの世を去った。明治大学の1年先輩である高田に、改めて尋ねる。「星野仙一が野球界に遺したものとは?」と。しばらく考えた後、ひと言、ひと言、嚙みしめるように高田は言った。
「……功罪あると思いますよ。《功》で言えば、あの闘志あふれるピッチング。マウンド上での闘志はすばらしかった。いつも、“ウォーッ”と叫びながら投げていたもの。現役晩年はボールよりも、声のほうが早く届いていたけどね。それは本来の実力以上の力を発揮するために、彼なりに頑張ったところだと思うから。それはもちろん《功》ですよ」
高田がこれまで目の当たりにしてきたレジェンド級のピッチャーは数多くいる。金田正一、稲尾和久、杉浦忠、山田久志、鈴木啓示と枚挙にいとまがない。
「大投手に共通しているのは常に淡々と投げていること。闘志を前面に押し出す必要なんてないんだもの。叫び声を出さなければ抑えられないピッチャーじゃないから。でも、星野の場合は大卒で、血行障害もありながら、先発もして、リリーフもして、それで通算146勝(121敗34セーブ)を挙げた。よく頑張ったよ」
では、「罪」は何か? やはり、その答えには迷いがない。
「やっぱり、暴力ですよ。子どもたちに対してあのスタイルを肯定できるか? それさえなければよかったけど、あのスタイルだから結果を出せたとも思うし。確かに結果は残した。だけどその一方では、選手に対して手を出したり、足を出したりしていたという話がある。テレビを見ていても、扇風機を壊したり、ベンチを蹴っ飛ばしたり……。そんな映像ばかり見ていたら、“おいおい、ちょっと勘弁してくれよ”という気になるよな」
期せずして、「星野の功罪」の話題となった。かつて「闘将」として鳴らした星野式指導、星野流のマネジメントは令和の時代ではタブー視され、疑義を呈されているのも事実だ。現在は親会社のDeNAのフェローとして球団を見守っている高田に「理想的な令和のリーダー像」を尋ねた。
「これからの時代は、今までの考え方がまったく通用しない難しい時代ですよ。今の選手に“バカ野郎、この野郎”なんて言い方ではまったく伝わらない。まるで、腫れ物に触るような感じですよ、現代の監督というのは。きっと、栗山(英樹)さんみたいな人当たりのいいソフトなタイプじゃないと務まらないだろうな。いや、あれは侍ジャパンのように、短期的な寄せ集めのチームだったから通用したのかもしれないけどね」
この記事を書いた人
1970年生まれ。早稲田大学卒業後に出版社へ入社し、女子高生雑誌『Cawaii!』などのファッション誌の編集に携わる。2003年からフリーに。ノンフィクションライターとして活動しながら、プロ野球12 球団すべてのファンクラブに入会する「12 球団ファンクラブ評論家®」としての顔も持つ。熱狂的な東京ヤクルトスワローズファンとしても知られ、神宮球場でのホームゲームには全試合駆けつける。単行本が7刷となり文庫化もされている『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(単行本:インプレス、文庫:双葉社)をはじめ、ヤクルト関連の著書・連載多数。スポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)にも定期的に寄稿中。日本文藝家協会会員。
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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