RIP SLYMEが語る「まだ何者でもなかった頃」原宿で駆け抜けた1990年代ヒップホップ
執筆者: 編集者・ライター/高田秀之
連載『届かぬ思い』は「飛行機の中で原稿書いたりして」
――2ndアルバムは日本語のラップアルバムとしては初の100万枚ヒットで、武道館公演もやりました。
ILMARI 『情熱大陸』とかにも出させてもらいました。情熱が伝わったかどうかはわかりませんが(笑)。
RYO-Z でもそのミリオンになったアルバムの発売日にメンバーと渋谷をウロウロしてたけど、誰にも声をかけられなかったですよ。僕らの顔が写ってる宣伝カーは走ってたけど。
ILMARI 最近、またテレビに出るようになったので、声はかけられるようになりましたね。この間も高校生に“あっ、RIP SLYMEだ”って言われました。別に“握手してください”とかはなく、確認されただけで、すぐいなくなったけど。
――smartでは、表紙にも何度も出てもらい、『届かぬ思い』という連載もやってもらっていましたが、何か思い出に残っていることはありますか?
SU コンビニに並んだときは嬉しかったですね。
PES 自分がレジに並んだの?(笑)
SU いや、表紙に出たときのsmartが(笑)。
――『届かぬ思い』は官能小説をメンバーが書き下ろすという連載でしたが、どうしてああいう内容になったんですか?
SU 当時、エロ小説ばっかり読んでたんですよ。ハーレクインとか。写真と違って、言葉で盛り上げなきゃいけないんですけど、読んでると絵が浮かんできて、逆に興奮するんですね。不思議なもんですね、文章って。
RYO-Z 飛行機の中で原稿書いたりしてましたからね。
――今年は夏のフェスにも出ましたし、久々の5人のライブの感触はどうだったんでしょうか?
ILMARI 泣いてる人もいましたね。
PES RIP SLYMEがダセエって(笑)。ダサくて悲しいって。
ILMARI 臭えって(笑)。
RYO-Z 俺、足洗ってこようかな(笑)。
この記事を書いた人
流行通信社、ロッキング・オン社をへて、1990年に宝島社入社。Cutie編集長ののち1995年にsmartを創刊。2024年に退社し、現在はフリー。
Instagram:@htakada1961
Website:https://smartmag.jp/
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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