矢沢永吉の一言でアメリカ行きを決意──鈴木一真が語る後悔しない生き方と、90sファッション&青春のリアルストーリー
雑誌smartが創刊30周年を迎える2025年。そのアニバーサリーイヤー特別企画として、1990年代に数多くsmartの表紙を飾っていただいた方々に当時の話を伺う連載『Back to 90s』。第6回のゲストは、20歳そこそこで海外でも活躍するトップモデルとなり、のちに本格派俳優へと転身、多くのドラマや映画に出演してきた鈴木一真。2015年には拠点をロサンゼルスに移し、現在も挑戦を続ける彼が、1990年代のファッションシーンを振り返る。
【優秀者発表!】「第9回Watanabe Education Group × smart 全国モデル・俳優・タレントオーディション」からsmart新専属モデルが誕生【平山愛夏さん20歳】
朝ドラ、大河ドラマを通じて気づかされたこと
――smart創刊と同じく、一真くんも今年、俳優業30周年を迎えました。
鈴木一真(以下、鈴木)「はい、おかげさまで」
――その前はモデルとして海外でも活躍していましたが、俳優業に転身したきっかけは何だったんでしょう?
鈴木「当時、現在の事務所のマネージャーに出会い、“営業させてほしい。必ず仕事を取ってくるから”と言われたんです。半信半疑でしたが、その結果、映画や連続ドラマのオファーをいただくようになりました」
――俳優業と並行して、『イタリアン・ヴォーグ』や『i-D』など、海外でもモデル活動も続けていたんですよね?
鈴木「作品の撮影が終わるたびに、オーディションを受けにパリやニューヨークを訪れていました。実はスティーブン・マイゼルからカルバン・クラインのキャンペーンのオファーが来たんですが、日本で映画出演が決まっていたため、チャンスを逃してしまったことがあったんです。あれは、本当に悔しかったですね」
――それは確かに、心残りがありそう。
鈴木「はい。ただ、その後、NHKの朝ドラ(『天うらら』)と大河ドラマ(『葵〜徳川三代』)への出演が決まったんです。それまで僕は阪本順治監督の『愚か者』など、ミニシアター系の映画で影のある役柄が多かったんですが、朝ドラや大河ドラマは老若男女問わず多くの方に受け入れていただける、そういう作品は初めてだったんですよ。それを通じて、俳優とは自分のためだけでなく、人に喜んでいただくための仕事でもあるんだなと、初めて実感できました。
俳優業を始めて5年ほど経っていましたが(笑)、この気づきは僕にとって非常に大きかったんです。その撮影中に、再びスティーブン・マイゼルからオファーが来たんですが、その時は迷わずドラマのスケジュールを優先しました。実はNHKのオーディションは南米の一人旅から帰ってきた空港から直接行ったんです。髪もボサボサで民族衣装を着たままオーディションを受けて(笑)、時間を無駄にさせて申し訳ないって思っいてたら、その感じが良かったのか、やってくれという話になった」
――そもそも、モデルになったきっかけは何だったんでしょう?
鈴木「僕は静岡県三島市の出身で、今でこそそれは自慢なんですが、10代の頃は退屈していました。少しお金が貯まると刺激を求めて東京に行っていたんですが、そこでスカウトされたんです。『ポパイ』などで読者モデルとして起用されながら、同誌の編集部でアルバイトもしていました。スタイリストの祐真(朋樹)さんの手伝いで、アイロンがけやリースの返却などをしていて、その現場で“服をいかに魅力的に見せるか”を学びましたね。見せたいポイントを押さえつつ、自分らしさを表現する方法を身につけました」
この記事をシェアする
この記事のタグ