「トレードマークの坊主頭は自分で刈ってた」池内博之が語る1990年代と恩人との壮絶エピソード
執筆者: 編集者・ライター/高田秀之
ヒップホップの影響を受けたファッション&髪型
――役作り以外の話もするんですか?
池内「仕事がないときとかに、相談に乗ってもらったりしていました。沸々とした思いを大事にして、次の作品にそのエネルギーを出せばいい、そんなに急がなくても大丈夫だよって言ってくれるんですけど、『ホントにだいじょぶなのかな?』って(笑)」
――そこで学んだことってなんですか?
池内「ぶっ壊すってことですかね。作り上げたものに甘んじて同じことばかりやらないで、壊して新しいことをどんどんやっていけってことかと。お芝居って正解がないので、いろんなことを試すのは大事なんですけど、やっぱり勇気がいるんですよ、新しいことをやろうとすると。やって笑われることもあるし、演出の人にダメって言われることもあるけど、それはそれでいいとは思っていて。壊していくっていうのは、一つのお芝居の型に嵌まらないでもっと柔軟にってことなんでしょうけど、やってみる勇気が大事。それを心がけてはいます」
――池内くんのファッション遍歴を聞かせてもらえますか?
池内「ヒップホップが昔から好きで、当時(90年代初頭)はまだ数が少なかったB-BOYでした。日本でヒップホップカルチャーが作られ始めていた時期で、マンハッタンレコード(ヒップホップやR&B中心のレコードショップ)ができた頃かな。まわりの友達にスケーターも多くて、僕は音楽はずっとヒップホップを聴いていました」
――その頃によく行ってたショップは?
池内「“スティルディギン”っていう、MUROさん(ヒップホップMC、DJ)がやってた渋谷のショップによく行っていました」
――よく聴いていたアーティストは?
池内「LAよりは東海岸、NYのトライブ(コールド・クエスト)とかナイス&スムースとか、ジャンブラ(ジャングル・ブラザース)とか。イベントとかもよく行ってましたよ。ヒップホップのグループを組もうとしてた時期もあるぐらい、ハマっていました」
――(笑)。池内くんのパートは何だったの?
池内「僕はリリックを書いて、歌ってました。ライブをやるまではいかなかったんですけど。今も昔のヒップホップはよく聴きますよ」
――まだそのファッション要素は自分の中に残ってる?
池内「今はそこまでB-BOYじゃなくて、もうBOYでもないですけど(笑)、ただ結構ルーズに着るのは好きですね」
――その頃のヒップホップ界隈で人気のブランドって何だったんですか?
池内「やっぱりティンバーランドとかノーチカとか、ヘリーハンセン、チャンピオンとかですね」
――古着も着てた?
池内「いや、古着は着なかったですね。そのあとに古着にちょっとハマった時期があったんですけど」
――プロパーだと服を買うにも結構高いじゃないですか。
池内「結構お金がかかるんですよ。セレクトショップでまだ日本に入ってきてないもの置いてあると、あぁ、かっこいいなあって眺めたりしてましたね」
この記事を書いた人
流行通信社、ロッキング・オン社をへて、1990年に宝島社入社。Cutie編集長ののち1995年にsmartを創刊。2024年に退社し、現在はフリー。
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