「トレードマークの坊主頭は自分で刈ってた」池内博之が語る1990年代と恩人との壮絶エピソード
執筆者: 編集者・ライター/高田秀之
雑誌smartが創刊30周年を迎える2025年。そのアニバーサリーイヤー特別企画として、1990年代に数多くsmartの表紙を飾っていただいた方々に当時の話を伺う連載『Back to 90s』。第5回のゲストは、俳優として『アウトレイジ 最終章』『ゴールデンカムイ』など数多くの映画、ドラマに出演している池内博之。初めはモデルとしてデビューした後、smar tの表紙やファッションページに何度も登場してもらった。彼が語るファッション、ヘアスタイル、演技論とは。
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稀代の演出家・蜷川幸雄との出会い
――高校時代はどんな将来のビジョンを描いてたんですか?
池内博之(以下、池内)「いや、まったくビジョンはなかったんですよ。将来は建築のほうに進みたかったから、その専門学校に行こうと思っていたら、高校時代に街でモデルにスカウトされて。まあ、初めはバイトみたいな感じでしたよね」
――実際モデルはやってみて楽しかった?
池内「ですね。個性的な人が多かったから、たくさん刺激も受けたし、楽しかったです」
――もともと俳優もやりたかったんですか?
池内「そのときはそこまで思っていなかったんですよね。まだ学校にも行っていたので、とりあえずやってみようみたいな感じ。一番最初は『ドリーム・スタジアム』って映画だったんですけど、セリフもなく「とりあえずいるだけでいいから」みたいな感じだったんですが、いるだけで緊張しちゃって。桃井(かおり)さんとか、大御所の人もいたし。言われるがままに動いて、朝も早いから、すごい世界だな、続けられるのかなって思いました。楽しいとか、そういう気持ちはまったくなかった。とにかくいっぱいいっぱいで」
――学校にも行きながら、だったんですよね?
池内「専門学校を卒業したら、建築関係の会社に就職するかもとは思っていて、そちらも諦めきれず、微妙なところでしたね」
――芸能の仕事のほうに舵がふれたのはいつですか?
池内「専門学校を卒業したくらい。みんな就職先が決まっていたんだけど、僕はまだモデルや俳優の仕事をしていて、この場にいたいなと思ったんですよ。『GTO』の出演が決まったぐらいかな。役者の仲間とか増えてきて、周りと『役者とは?』って話もし出して、自分でも映画を観ながら、どうやったら上手く演じられるかとかを研究したりして。当時は浅野(忠信)さんとかが好きだったんだけど、あの自然な感じはどうやったら出てくるんだろうとか、どんどん役者の世界に入り込んでいきました」
――1998年には映画『ブルースハープ』で初めて主演を務めましたね。
池内「あれも大きかったですね。責任重大だなと思いました。自分でしっかり演じないといけないなと。座長っていう感覚はなかったけど、こういうのがいいんじゃないかって衣装の提案をしたりとか、ものづくりをしている一員としてちゃんと動いている感じがしましたね」
――これまですごい数の映画、ドラマに出てますけど、印象に残っていることをあえて挙げるとすれば?
池内「一番大きかったのは蜷川(幸雄・演出家)さんとの出会いですね。『笑う伊右衛門』っていう映画でご一緒させてもらったんですけど、全てを否定されたんですよ(笑)。確かに自分もそのとき、ヘタはヘタだったんですけど、今までやってきたものはなんだったんだろうってぐらい、めちゃくちゃサゲられて。そういうことがあると“何くそ”って思う性格なんで、そこからは自分であのシーンはこうしようとか、もっとこうしてみようとか、かなり集中したんですけど、それが僕の中では結構転機でしたね」
――蜷川さんの稽古場でのエピソードは有名ですが、灰皿は飛んでこなかった?
池内「それはなかったんですけど。その映画の前に劇団☆新感線の舞台をやらせてもらって、それは自分でも達成感があったので、また舞台をやりたいなと思ってたんですよ。それで、『(笑う)伊右衛門』をやって、その後に蜷川さんの舞台(『リア王』)に呼ばれてやらせてもらったんです。そのときに役の作り方というか、向き合い方というか、そういうことを稽古の中で学んでいきました。蜷川さんが他の役者さんに言ってることも聞いて、腑に落ちたり納得したり。こうしたらいいんだってことを台本にいろいろと書き込んで、台本が教科書みたいになってました。学校の授業を受けていたみたいでした」
――蜷川塾というか?
池内「それで実際にやると、またけちょんけちょんにダメ出しを喰らうんですけどね(笑)。“そんなんじゃねえ、何やってんだ!”って。あとから聞いたんですけど、気に入っている人にはそうするみたいです。とにかく、蜷川さんとの出会いは大きかったです」
この記事を書いた人
流行通信社、ロッキング・オン社をへて、1990年に宝島社入社。Cutie編集長ののち1995年にsmartを創刊。2024年に退社し、現在はフリー。
Instagram:@htakada1961
Website:https://smartmag.jp/
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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