「90年代の原宿には“やってやるぞ感”が漂っていた」名優・永瀬正敏が認める“一番かっこいい男”とあの代表作への思い
執筆者: 編集者・ライター/高田秀之
雑誌smartが創刊30周年を迎える2025年。そのアニバーサリーイヤー特別企画として、1990年代に数多くsmartの表紙を飾っていただいた方々に当時の話を伺う連載『Back to 90s』。第3回のゲストは、100本を超える映画に出演し、国際的にも活躍する名優・永瀬正敏。ファッションデザイナーやクリエイターからの信頼も篤い、俳優としての彼は1990年代の原宿をどう捉えていたのか?
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オーディションには革ジャンとラバーソールで
――今日は私服で来ていただきましたが、アイテムを教えてもらえますか?
永瀬正敏(以下、永瀬)「靴はヨウジ(山本耀司)さんのY-3(ワイスリー)。変な靴が好きなんです。パンツはネイバー(フッド)。Tシャツは宮下(貴裕)くんのブランド(タカヒロミヤシタザソロイスト.)で、僕の写真をTシャツにしてくれてるんです。おととしくらいのやつなんですが、宣伝しようと思って(笑)。アウターはsacai(サカイ)です。何を着ていけばいいんだろうって、すごく困りました(笑)」
――永瀬さんのファッション遍歴は革ジャンとラバーソールから始まったというのは有名な話ですが、それはいつ頃ですか?
永瀬「中学時代にパンクムーブメントが起きて、イギー・ポップやクラッシュを見て、Tシャツを自分で破いたりしてました。裸に革ジャンのイギーに憧れて、裸に学ランを着たりとか、今思うと恥ずかしい格好(笑)」
――人生で初めて革ジャンを買ったのはいつですか?
永瀬「仕事を始めてからじゃないかな。高1でデビューして東京に出てきたので、そのときに下北沢あたりの古着屋で買ったんだと思います」
――その頃はオーディションにも革ジャンとラバーソールで行っていたそうですね。
永瀬「それでことごとく落とされて(笑)。プロダクションとかに入っている子はそれっぽい格好で来るんだけど、僕はほかに持ってないから、一張羅(いっちょうら)で行くとそれが革ジャンなんです。“なんか音楽やりそうなやつがきた”って、それだけではじかれちゃうっていう。カテゴライズしがちな時代だったんでしょうね」
――革ジャン=ロック=不良という。
永瀬「まさにそういうノリでしたね。役が決まればそれに合った洋服を着るし、髪も必要なら切るし、素で行こうと思っていたんですけどね。僕より上の世代の先輩方には、俳優をやりながら自分の好きな音楽をやっている方もいたんですけど、ちょうどその狭間の、トレンディドラマの時代は、わりとはっきりしたカテゴライズで分ける感じがありましたね」
――でもその後、時代も変わり永瀬さんのキャラクターも認められましたよね。
永瀬「なんか1980年代後半から90年代頭に、いろいろ動き始めましたよね」
――smartでは俳優・永瀬正敏としてだけでなく、A BATHING APE®(ア・ベイシング・エイプ)やジェネラル・リサーチなど、いろんなブランドのファッションページに出ていただきましたが、どのへんから当時のシーンとの繋がりが深まっていったんですか?
永瀬「あの頃は横の繋がりがすごくありましたよね。ジョニオ(高橋盾)くんとNIGO®くんもそうだし。どこかに行くとみんないる、みたいな。知り合いから“いま呑んでるから”って誘われて行った場所で知り合ったりとか」
――クラブとか?
永瀬「昔はそうですね。(ジム・)ジャームッシュと撮影したのが88年で(映画『ミステリー・トレイン』)、それを観てくれた日本の人たちに僕を知ってもらって広がったっていうのもあるし。ジャームッシュを通して知り合った人が日本に来るときに“どっか面白いとこない?”って聞かれて、慌てて探して連れて行ったりして、そこから広がったりとか」
この記事を書いた人
流行通信社、ロッキング・オン社をへて、1990年に宝島社入社。Cutie編集長ののち1995年にsmartを創刊。2024年に退社し、現在はフリー。
Instagram:@htakada1961
Website:https://smartmag.jp/
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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