1990年代の撮影は「言えないこともいっぱい(笑)」名脇役・渋川清彦が今だから語れる“あの頃”
執筆者: 編集者・ライター/高田秀之
思い出深い“バンジージャンプ”撮影
――本格的に役者モードになったのはいつぐらいですか?
渋川「10年前くらいですかねぇ、もうちょい前か。ここ5、6年はお酒の飲み方にも気をつけるようになりました。自分は演技の学校や劇団にいたわけじゃないから、現場でやりながら勉強するしかなかったんで、人がどうやっているかをだんだん意識するようになりましたね。抑揚とか強弱とか。俺、語尾が上がるんで、そういうところとか。滑舌の練習もしたり。いろんな人とやるようになって、自分の苦手なところや言葉使いを意識するようになってきました」
――smartで印象深かった撮影というと?
渋川「言えないこともいっぱいあるんですけど(笑)、覚えてるのは(大柴)裕介とやった撮影で、カメラが(渥美)亮太くんで。靴の特集で、(群馬県の)猿ヶ京温泉にバンジージャンプをしに行ったんですよ。ジャンプしているところを撮る予定で、俺と裕介で橋の上から飛んだんだけど、結局写真が撮れてなかったっていう(笑)。結果的にただバンジーをやりに行っただけ(笑)」
――(笑)。雪山に一泊で行ったり、とにかくいろんな撮影がありましたよね。
渋川「盛岡のほうに行って温泉に入ったのは覚えてますね。伊勢谷(友介)と雪山に撮影に行ったときに、もう1人同じ名前の人がいて、“お前もユウスケっていうんだ”って、ちょっと凄んだ光景を見たりして。俺は群馬から出てきたばっかりで、いろんな人たちと会ったのが、いろいろと衝撃的でしたよ。地元にハーフなんていないし(笑)。あと、残念だったことで覚えているのは、smartでアムステルダムに行ったんですよね。それ、俺行けなくて、悔しかったからよく覚えてる。いろいろな雑誌をやったけど、smartが一番自由度が高かった感じはする。関わってた人も含めて」
――スタイリストの人ってそれぞれ個性が違うから、モデルさんも被らなかったりするんだけど、KEEくんはいろんなスタイリストに好かれていたから、いろんな撮影に呼ばれてたのは、KEEくんの代わりになる人がいなかったからだろうね。
渋川「いいじゃないですか、役者として考えても。あとは真面目にやればいいだけですね(笑)」
――モデル、役者と同時に洋服のブランドをやるのも楽しかった?
渋川「そうですね。当時、ARATA(井浦新)くんとかみんなやってたから、流行りみたいな感じでやるのはイヤだなっていうのはあったけど、まぁチンさんがやるんだったらいいかな、みたいな。もともとあんまり原宿のほうは行かないで、ロンナイとかロカビリーナイトに行ってたんですけど、Rotarをはじめてからは、イベントもやってたので、地方の洋服の卸先の鹿児島とか京都にも行ったりしてました」
――Rotarってメンズのファンが多そうなイメージがあります。
渋川「いまだにRotarに来てたやつとか働いてたやつとも付き合いがあって、俺がイベントにDJで参加してたりするんですよ」
カメラマン内藤「給料を前借りして、その日にパチンコ行って、全部なくしてたりしてた(笑)」
渋川「俺はそんなにしてないですよ。でもよく麻雀を朝までやったりしてましたね。今はパチンコも麻雀もほとんどやらなくなったけど、昔遊んでたことは全部役者に役立ってる、ビリヤード、ボーリング、バイク、音楽……」
――モデルや役者とは違う付き合いができたんだ。
渋川「その前までは華やかなパーティとか、いろんなところ行ったりしましたけど、Rotarができてからは遊ぶ場所もなんとなく決まってきて、そこで繋がりができた人と今でも続いてるから良かったなと思ってて。Rotarやってそれが一番デカかったかな」
――Rotarの連載(『侍な賽』)もあったけど、あのタイトルは誰がつけたの?
渋川「俺なんですけど、なんでそうしたかはよく覚えてないですね、その頃、時代劇にハマってたからじゃないかな。メイドカフェに行ったり、ジェットコースターに乗りに行ったり、いろんなところに行かせてもらえて、楽しかったですよ。華やかないい思い出です(笑)」
Profile/渋川清彦(しぶかわ・きよひこ)
1974年7月2日生まれ。群馬県渋川市出身。KEEという名で1993年にモデル・デビュー。1998年、『ポルノスター』で映画デビュー以降、多くの映画、ドラマに出演、独特の存在感を示している。2019年には日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞/助演男優賞を受賞。2025年1月からTV東京系で放映のドラマ『風のふく島』に出演。20年以上続けているロカビリーバンド「ドトキンズ」のドラマーでもある。
Photography_KEISUKE NAITO
Styling_KIYOHIKO SHIBUKAWA
Interview & Text_HIDEYUKI TAKADA
衣装はすべて本人私物
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この記事を書いた人
流行通信社、ロッキング・オン社をへて、1990年に宝島社入社。Cutie編集長ののち1995年にsmartを創刊。2024年に退社し、現在はフリー。
Instagram:@htakada1961
Website:https://smartmag.jp/
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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