【藤井風のバックダンサーとしても注目】川本アレクサンダー インタビュー/振付師、モデルもこなすマルチな才能。コンプレックスを力に変えた底抜けの明るさの秘密
執筆者: ライター/石野志帆
藤井風をはじめ、渡辺直美、きゃりーぱみゅぱみゅ、加藤ミリヤといった大物アーティストのバックダンサーや振付師として活躍し、最近では舞台俳優やモデルとしても注目を集める川本アレクサンダー。2歳で生き別れたアフリカ系アメリカ人の父と、日本人の母のもと生まれたハーフであり、バイセクシャルでもあることで、幼いころからコンプレックスを抱えてきた。一方、SNSでは底抜けに明るいキャラクターで親しまれ、時にフォロワーの悩み相談にも応じるフランクさが人気だ。極貧生活を経て単身上京し、数多くのアーティストや海外での出会いがもたらしたパラダイムシフト、劣等感との向き合い方など、コンプレックスを力に変えた秘密に迫った。
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「皆と違う僕の肌の色を見ないで!」
抱えた“劣等感”と
自分を変えたダンスとの出会い
――山口県岩国市に年の離れた3人の兄がいる末っ子として生まれ、ご自身だけが黒人とのハーフとのことですが、地方都市でハーフとして育つなか、どんなことを感じて育ちましたか。
川本アレクサンダー(以下、川本) (岩国は)米軍基地があって外国人も多いんですけど、ハーフの子は(当時)学校に2、3人いるかな……ぐらいで。今でも覚えてるのが、小学校に上がって初日、入学式のときに、新1年生の名前が体育館の前にずらっと並んでたんですね。自分は前から数えて4番目だったんですけど、出席番号が4番目の自分の名前だけ「川本アレクサンダー」っていうカタカナだったんです。その時点から、「自分は他の人と違うんだ、嫌だな、悲しいな」っていう気持ちでした。(ルックスが)自分の一番大きなコンプレックスでした。「川本君は肌が黒いから」って仲間はずれにされたこともありましたね。でも、悲しかったけど、泣いたことはなかった。やっぱり、言っても(自分は)強いから、言い返したりしてました。
――そのコンプレックスがダンスに活きることはありましたか。
川本 (じーっと)“見られる”っていうのがトラウマだったんですけど、ダンサーやタレントの仕事って、目立ちたがり屋がやるような仕事じゃないですか。だからすごい狭間にいて。「自分を見てもらいたい」のだけど、「皆と違う僕のこの肌の色を、姿を、見ないでくれ!」みたいな感じが(昔は)ありました。だからこそ、ステージ上がったら無敵になる。ステージの上だったら、差別も区別も何もなくて、誰もが輝けるし、自分も輝ける場所だから。しかもステージの上なんて、人と違えば違うほどいいから「自分最強じゃん!」っていう。
――ダンサーになりたいと思ったきっかけは何でしたか。
川本 13歳のとき、深夜に母親とダンス番組を観ていて。いきなりなんですけど、「ダンサーになりたい!」ってピンと来たんです。それで母親に、「お母さん、俺、ダンサーになれるかな」って聞いたら、「なれるよ!」って即答してくれて。で、次の日にはもう(母親が)ダンススタジオを見つけてきてくれました。
――シングルマザーのお母様は、川本さんにとても協力的だったんですね。
川本 「アレックスの好きなことをしな!」っていう感じでしたね。神様より神様……って感じで。家は死ぬほど貧乏だったんですけど。住んでた家が、全部和室の2階建てアパート、ボットン便所の土壁の家で、シャワーもなければエアコンもない家賃8,000円のところでした。食べるものも、250円の牛丼とかだったし、(満足に)食べられない時期もありました。それでも、(やりくりして)月謝払ってダンスを続けさせてくれて、本当にありがたかったなって思います。
「あなたの肌の色はカッコいい」
人種・性的マイノリティの壁を
乗り越えたカナダでの出会い
――高校生の時に中京テレビのダンス番組に出演したことをきっかけに山口と名古屋・東京を行き来しながら、18歳の時にプロを目指して上京されました。
川本 高校を卒業して、東京の事務所に入ってみたり、そこのレッスンを受けてみたりとかしながらも、運よくコネクションが繋がっていって、ちょこちょこダンスの仕事ができるようになってきたんです。でもそれでは生活ができなかったので、おでん屋さんのキッチンとか、引っ越しの仕分けのバイトとかをしていました。でも生まれたときから貧乏だったから、東京でバイトして、“お金がないながらも生きる”っていうのも、どこか楽しんでるところがありましたね。
――プロのダンサーとして、転機だったのはいつですか。
川本 20歳のときに加藤ミリヤさんのバックダンサーオーディションがあって、それに合格してから、メジャーの仕事ができるようになりました。あれは忘れもしない『逗子フェス』というフェスティバルだったんですけど、ステージがすごく大きくて、お客さんがたくさんいて……。あの景色で、「バックダンサーになったんだ!」っていう気持ちになりました。
――その後、単身カナダへワーキングホリデーで渡られました。バックダンサーとして順調にキャリアを重ねる中、どういった決断だったのでしょうか。
川本 新しい自分に出会いたかったっていうのもありますし、何か変えたかったというのもあります。「ダンスをやめて、全部捨てて海外に行こう!」と。当時は、渡辺直美さん、きゃりーぱみゅぱみゅさん、赤西仁さんや加藤ミリヤさんのダンサーとして1年中ツアーを回る、みたいな時期で、親や周りからは引き留められました。でも、「俺がすごいんじゃなくて、すごいのはアーティストさん」って思っていて、自分じゃなきゃできない仕事っていうのを見つけたかった。「帰ってきても、絶対なんとかなる!」って気持ちで、カナダに行きました。
――初めての海外生活で、どんな変化がありましたか。
川本 自分の肌の色のコンプレックスがなくなりました。(カナダで)1人のトランスジェンダーの子と友達になって、毎日遊んでいたんです。その子が僕の肌の色のことを、すごく褒めてくれて。それまで肌の色を褒められることなんてそれまでなかったし、ディスられたと感じることしかなかったんですけど。(友人は)本当にずっと毎日「アレックスの肌の色はかっこいい」とか、「私は世界で一番黒人の人種が好きだよ」とか、そういう言葉を言ってくれて。そしたら脳みそがだんだん「この肌の色はいいことなんだ」「いいんだ、いいんだ」って認識するようになって。そこですごく自信を持てたんですよ。
――価値観がガラッと変わったんですね。
川本 自分は男の子も女の子も好きなバイセクシャルなんですけど、そのことについても学生時代からずっと悩んでいて。周りになかなか言えずに「隠したいな」っていう気持ちがあったんです。でもカナダのトロントは、LGBTQのコミュニティがたくさんある街で。そこにいることで、「自分は別に、“変わっている”のではない」とか、「何でもいいんだな」とか思えるようになりましたね。カナダに行ったことで、肌の色とセクシャリティに対する自分の2つのコンプレックスがなくなりました。
――ダンスも結局続けていく決心もしたんですね。
川本 「ダンスを辞めよう!」と思って行ったんですけど、右も左もわからなくて言葉も話せない状況で、逆に病んじゃって。ダンスをしなかったら「自分って何なんだろう……」って。トロントのダンススタジオに通い始めると、やっぱり楽しくなってきたので、ダンスをしてないと生きていけないんだなっていうのに気づけました。
藤井風から受けた刺激
“嘘”のないダンスと周囲への気配り
――帰国して再びダンサーとして復帰されてからは、藤井風さんのMVでバックダンサーや振付師としての活動も注目されました。藤井さんから影響を受けたことはありましたか。
川本 たくさんあるんですけど、特に影響を受けたのは、「まつり」のMV撮影のときですね。風さんも、フリーでダンスを踊るシーンがあったんですけど、風さんの動きがナチュラルで嘘がなかったんですよ。
――嘘がない?
川本 「ここでキレを出そう!」とか、「ここはカッコいい顔で決めよう!」とかすると、そこに“嘘”が出てくる。人によく見られたいからこそやってる、みたいことを僕は“嘘”って呼んでるんですけど。でもダンスって、自分のナチュラルな動きが出たときが一番かっこいい。風さんのダンスを見たときに、その類いの“嘘”が全くありませんでした。それに、指先まで神経がいっていて、すごく繊細な動きをされていて。意外と今まで自分が意識しなかった部分だったので。それからは、自分も指先までより一層意識して踊るようになりました。
――藤井さんの人としてのあり方にも影響を受けましたか。
川本 1人1人を見てくれているなって印象があって。MVのメイン出演者の方って、本番当日は本当に忙しいんですけど、風さんはメイクとか休憩の合間を見て、みんなのところに来て話してくれて。すごく士気が上がりました。そういう行為を見て、自分もこうしたらいいんだなとか少しずつ、学ばせてもらってます。
コンプレックスを自信に変えたいま
「誰かの役に立ちたい」
――昨年は舞台『ヘアスプレー』にも出演され、ダンサー以外の仕事にも挑戦されました。
川本 (舞台が)終わって“ヘアスプレーロス”になったくらい、これまでで一番最高な仕事の一つになりました。(出演者の)みんなの才能が素晴らしすぎましたし、本当に楽しかった。
――『ヘアスプレー』は、人種差別やルッキズムを乗り越えていくことがテーマにある物語ですが、ご自身の半生とリンクしたことはありましたか。
川本 肌の色でいろいろ言われてきてコンプレックスを持ってきたけど、世界で何が起こっているかとか、差別の事情はどうなのかは、ある意味逃げて、知ろうとしてなかったんです。でも出演を機会に歴史を知ることになって。そこでふと、自分のお父さんは黒人で、祖父母も黒人ってことは、もう代々差別を少なからず受けてきたんだなって考えて。自分の人生にまた強く、違う意味で影響を与えたお仕事でした。
――主演の渡辺直美さんとはダンサーとして以前もお仕事をご一緒されていました。どんな影響を受けましたか。
川本 直美さんはどんな時でも笑顔で周りの人たちに接していて、
――フォロワー2万人を超えるご自身のインスタグラムでは、コメントを拾って明るく雑談しながらも、フォロワーからの悩みに答える姿が印象的です。
川本 それは「誰かを助けたい」に繋がるんだと思います。自分は人にたくさん助けられてきたし、いろいろなアーティストさんの話を聞いて、何か人の役に立ちたいと思い始めて。でも今のところはやり方がわかんないから、自分ができることで、元気になってもらえたら、ちょっとでも助けができたらいいな、っていう気持ちでやっています。
――ご自身の肌の色やセクシャリティーについてコンプレックスを感じた経験は、これからの活動で活きていくでしょうか。
川本 死ぬほど役に立つと思います。なぜかと言うと、やっぱり人間って自信があれば何でもできるし、それはやっぱり自分の意識次第だと思うんです。今でも自分は、超病んじゃって「自分なんて無理だ」ってなることがあるんですけど、自分はこの見た目でこのアイデンティティは変えられないし。むしろコンプレックスだったのが、自信になっている今があるので、この経験がこれからの活動にすごく役立っていくのかなって思っています。
(了)
PROFILE/川本アレクサンダー
1991年2月13日、山口県岩国市生まれ。13歳の時にテレビで見たダンスにビビッときたのをきっかけにダンスを習い始める。18歳で上京してからは、ももいろクローバーZ、加藤ミリヤ、渡辺直美、きゃりーぱみゅぱみゅ、BABY METAL、EXIT、藤井風など有名アーティストのバックダンサーとして、ライブやテレビ、MVへ数多く出演。振付師としても活躍する傍ら、ZIMAやマクドナルドなどの広告にモデルとしても出演しているほか、日本発のダンスのプロリーグである「D.LEAGUE」 では審査員も務める。身長185cm、股下93cm。
Instagram:@alex_kwmt
Twitter:@alex_kwmt
Photography_大村聡志、Text_石野志帆
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この記事を書いた人
TV局ディレクターや心理カウンセラーを経て、心を動かす発見を伝えるライター。趣味はリアリティーショー鑑賞や食べ歩き。海外在住経験から、はじめて食べる異国料理を口にすることが喜び。ソロ活好きが高じて、居合わせた人たちの雑談から社会のトレンドをキャッチしている。
Website:https://smartmag.jp/
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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