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【WBC】「あのときが一番ギラついていた」第2回大会の世界一戦士・片岡保幸が明かす激闘の舞台裏

執筆者: smart編集部/熊谷洋平

2009年WBC第2回の世界一メンバーでもあった元西武、巨人の片岡保幸氏

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野球の世界一決定戦ともいわれるワールド・ベースボール・クラシック(以下、WBC)がいよいよ今日3月8日に開幕。ダルビッシュ有、大谷翔平といったメジャーリーグを代表する選手を擁し、“史上最強”との呼び声も高い野球日本代表の「侍ジャパン」も明日9日に初戦となる中国戦を迎える。WBCでの日本は2006年の第1回、09年の第2回大会で連覇を果たしたものの、13年の第3回、17年の第4回と2大会連続ベスト4にとどまっている。同じく野球の国際大会である2019年の「WBSC世界野球プレミア12」での優勝、21年の東京五輪での金メダルに続き、WBCでの3大会ぶりの戴冠で真の野球王国・日本復権へ――。第2回大会の世界一メンバーであり、同大会前にはあのイチローから走力を絶賛されたNPB通算320盗塁を誇る“韋駄天(いだてん)”、元西武ライオンズ、元読売ジャイアンツの片岡保幸さんにWBCの戦い方について聞いた。

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2009年WBC第2回の世界一メンバーでもあった元西武、巨人の片岡保幸氏

大黒柱・イチローとの初めての邂逅

――2009年の第2回WBCのメンバーを改めて見ると、片岡さんと同学年の選手も数多くいらっしゃいました。

片岡保幸(以下、片岡) 結構いました。僕を含めて5人いたかな。ナカジ(中島裕之)がいて、内海(哲也)がいて、亀井(義行)がいて、内川(聖一)がいて。あと1学年上にも青木(宣親)さん、川崎(宗則)さん、岩隈(久志)さんなど。当時の話を今日は思い出せる範囲でできればと思います。緊張のあまり、当時のことをあまり覚えていないんです。

――やはり当時のメンバーにイチローさんがいたのが大きいですよね。

片岡 日本代表の合宿初日前夜にチームが集合した後、ホテルでミーティングがあったんです。みんなが揃った後、最後にイチローさんが部屋の後ろからパンとドアを開けて入ってきて、そこではじめましてで。

――もうすでにみんなが座っている状況で、ミーティングが始まろうかというときに……。

片岡 そうです。イチローさんが入室したと同時に報道陣の方が「バシバシバシバシ」ってカメラで写真を撮られて、「うわ、イチロー来たよ……」と僕たちもなって。僕もイチローさんとはその場が初めての顔合わせだったので、席を立って「よろしくお願いします!」とご挨拶したんです。

――2009年大会の指揮官は原(辰徳)監督で、片岡さんは原監督から「お前さんには足や守備を期待している」と直接言われたそうですね。 

片岡 「お前さんには大事なところで走ってもらうから」と。それで「御意です!」とお伝えして。

――今大会は栗山(英樹)監督が電話で各選手に代表入りを告げたと報道で出ていますけど、当時代表入りに関しては原監督から対面で言われたんですか?それとも電話で言われたんですか?

片岡 対面です。2月にチーム(西武)のキャンプインがあって、それでWBCのスタッフたちが挨拶回りに来られて。西武からは何人か候補に選ばれていて、高代(延博)内野守備走塁コーチとかも来られて、高代さんには「いろんなポジションを守ってもらうから。ユーティリティでいける準備をしておけよ」と言われて「わかりました」とお伝えしました。確かそのときに原さんもいて「大事なところで走ってもらう」と。代表の合宿が始まっても改めて(原監督のモノマネで)「大事なところでいく。そういう役割だから」と言われたんです。長年あの人の下にいると、モノマネも身についてしまっているんですが(笑)。

――今大会(2023年の第5回)は最終メンバーも1月26日の発表でしたけども、当時は選手選考ももう少しギリギリでしたよね。 

片岡 当時は候補メンバーとして選ばれた選手が合宿に参加して、合宿がスタートしたタイミングだと誰が選ばれるかはまだ決まっていなかったんです。合宿中に「今日、最終メンバーを言い渡すから」と言われて、それで細川(亨)さんとか岸(孝之)とかが落選して。和田(毅)さんもそうでしたね。言い渡されるときも、練習が終わって一塁ベンチ裏にみんな集合して「今からメンバーを発表する」という形で始まったんです。僕は内野手で一番最初に名前を呼ばれたんですが、呼ばれたときも「え?入っちゃった」みたいな感じで、返事もちょっとワンテンポ遅れちゃって。

2009年WBC第2回の世界一メンバーでもあった元西武、巨人の片岡保幸氏

“一番ギラついていた”時期に臨んだ第2回WBC

――片岡さんといえば、第2回大会前年の2008年の日本シリーズでかなり鮮烈な活躍をされました。我々野球ファンからしても「片岡さんは当然選ばれるだろう」と思っていたわけですけども、当時はプレーヤーとしての自信も一番みなぎっていた時期という感じですか?

片岡 自信はつけていましたし、あの日本シリーズは僕の野球人生の中で非常に大きな出来事の一つでした。第7戦の逆転した8回表が特にターニングポイントで。盗塁王のタイトルもそうですけど、レギュラーとして初めて打順も一番を任されて日本一まで突っ走った一年だったので、本当にあのときが一番ギラついていたかな。すごくガツガツ野球に取り組んでいたなと思います。

――そういう自信に満ちたメンタルでいても、日本代表という場にいくとまた心境の変化というのはあるものですか?

片岡 そこまで積み上げてきたものが一気になくなっちゃうという感覚はありました。周りの選手がみんなすごいので、一気に新人の頃のような感覚というか、プロ入りしたときみたいに「また高いレベルに来ちゃったな」と思いました。今大会のメンバーもすごいけど、2009年も相当すごくて当時は“侍ジャパン史上最強”なんて言われていましたからね。メジャー組も何人かいて、イチローさんだけではなく投手陣もすごかったですからね。

――先程話に出た通り、当時は同学年や同年代の選手も多かったわけですが、やりやすさはありましたか?

片岡 やりやすさっていうのは特になかったですね。日の丸を背負ってるっていうことが何よりもプレッシャーで。しかも「前回大会(06年の第1回WBC)で優勝しているし、今年も優勝だろう」っていう風に周りから見られていたので、負けられないだろうなとは思っていました。でも僕、最初はレギュラーでも何でもなかったし、「大事なところで使うから」と言われてはいたけど、“大事なところ”って確実にやばい場面なわけじゃないですか。そういう重圧は感じつつ、でも同年代が多かったので助けられた部分も多かったです。

――それこそ西武でチームメートだった中島さんと、最終的に決勝戦ではチームと同じ二遊間ではなく三遊間を組んでいました。

片岡 セカンドに岩村(明憲)さんがいて、岩村さんは固定だったので。それで試合途中から守るところはどこかなと考えると、足を使えない選手が守っていたのがサードだったんです。だから練習はサードとショートのみ。セカンドの練習は代表ではほぼしていないですね。WBCの年はチーム(西武)のキャンプでもしていなかったと思います。西武のキャンプも、完全にWBC仕様のキャンプ。「いろんなところを守ってもらうから」と言われてからは、セカンドはシートノックでは入るけど、個人練習ではショートとサードをずっと守っていましたね。バッティング練習もほとんどしていませんでした。

――それでもWBC本戦での成績を振り返ると、13打数4安打で打率は3割8厘を記録しています。

片岡 結構打ってますね(笑)。決勝もいいところで三遊間を破るヒットを打てて。第2ラウンド初戦で(キューバ代表の最速169km左腕)チャップマンからも打ちましたからね。(持参したマイバットを指差して)これ、チャップマンからヒットを打ったバットと同じモデルです。

――片岡さんがスタメンで出始めたのはアメリカラウンドからですよね。

片岡 そうです、第2ラウンドのキューバ戦からです。日本のラウンドが終わってすぐ、韓国戦に勝った日の夜にチャーター機でアメリカのアリゾナに入って。あの大会は韓国とはだいぶ戦いましたから。第1ラウンドの最初の試合で勝って、次に負けて。それで第2ラウンドの最初で負けてマウンドに旗を立てられて、その次の試合は勝った。2勝2敗でいって、決勝が最終決戦でした。

――特に期待されていた走塁面に加えて打撃面でも非常に活躍された片岡さんですが、2009年の侍ジャパンにおいて試合以外で担っていた仕事はありましたか?

片岡 荷物を運んだり、荷物の出し入れとかもお手伝いしていたし、あとはバッティング練習の順番の最後が僕のことも多かったんですけど、僕がホームランを打つまで終わらないというルールがありましたね。そうなるともう練習が終わらない、終わらない(笑)。アメリカラウンドでの練習は、グラウンドは広いし、WBC使用球でボールは飛ばないし、全然スタンドに入らない。「もう無理です!」とか言っても、周りは「まだまだいける!」みたいな感じで盛り上げてくるし、毎回やっと(スタンドに入れて)終わった……みたいな感じでした。だからバッティング練習ではチームで一番数多く振っていたかもしれない。とにかくスタンドに入れるために振っていたから、最後のほうは(打撃)フォームとかも関係なくなっていましたから(笑)。ただ試合での結果がよかったので、そういうスイングをしておいてよかったのかもしれないですね(笑)。 

――そういう意味では片岡さんはチームのムードメーカーだったというか。

片岡 そうですね。野手では最年少だったので、同学年の僕と亀井と内川でベンチ内を「盛り上げよう!」という話をしていました。内川も最初はベンチだったんですよ。イチローさんが打てないときも「みんなイチロースタイルでやろうぜ!」ってユニフォームの着こなしを僕ら三人がイチロースタイルにしたら、稲葉さんもやってくれて、それで練習で盛り上がって。あれでだいぶ結束力も高まりましたね。日本ラウンドからアメリカに行って、段々チームがまとまって、雰囲気も最高潮の状態で決勝を迎えられたという感じでした。最終的には結構楽しくプレーできて、「もっとこのチームで野球をやっていたいな」という心境にはなっていました。そこまでいくのは難産でしたけどね。いかんせんイチローさんが不調という異常事態でしたから。ただそういう状況でもイチローさんに対して軽々しく「OK、OK!」なんてこっちも言えませんでした。でもイチローさんがバントを失敗して、ベンチに戻ってきたときに「ごめん!」みたいな感じでみんなに謝ってくれたときは「イチローさんすげぇ」と思いましたね。でもそこに川崎さんとかがいたから、そんなにムードも暗くなることはなかったです。

――具体的に「どういう風にチームを盛り上げよう」というお話をされていたんですか?

片岡 とにかく明るくしようと話していました。だから内川が試合に出てくれてよかったですよ。内川が試合に出て活躍して、内川をいじっておけばみんなが盛り上がってくれましたから。亀井と僕とで、内川のアゴを触ったりしていじり倒して。そういう役割をしないといけないなと思っていましたね。

2009年WBC第2回の世界一メンバーでもあった元西武、巨人の片岡保幸氏

初スタメンは前夜に福留との食事中に告げられ……

――韓国との決勝戦の外野の布陣はセンター青木さん、ライトイチローさん、レフト内川さん。片岡さんもスタメンで出るようになったのはアメリカラウンドからで、内川さんの姿とも重なります。 

片岡 第1ラウンドの韓国戦も、(右腕の)ポン・ジュングンが先発の試合で完封負けしたときはスタメンではなかったと思います。(左腕の)キム・グァンヒョンにもチームが苦戦していて、彼を打ったのが内川くらいだったんじゃないかな。対左投手は4割ぐらいシーズンでも打ってましたし、左ピッチャーに対して滅法強いから。内川が使われて内川が結果を出して、アメリカラウンドでもホームランを打ったりしていて、もう不動の中軸になっちゃいましたから。それで僕と亀井だけが取り残されちゃって(笑)。それで「2人でなんとかするしかねーな」と励まし合っていました。と思ったら、アメリカに行ったらナカジ(中島)が風邪を引いて、(ティム・)リンスカム(前年2008年にサイ・ヤング賞を受賞した大リーグを代表するピッチャー)が投げてきたサンフランシスコ・ジャイアンツとの練習試合にナカジも体調が悪い中で出て、ヒットも打って、でも途中で交代して。ちょっと無理をして出ちゃったから、体調もさらに悪化してしまったんです。発熱しちゃったから、代わりに次の練習試合のシカゴ・カブス戦は僕がショートで出て。確かその試合はショート以外もいろいろ守ったと思います。それで決勝ラウンドを迎えて、ナカジの熱は下がったけど万全じゃないということで、大事な第2ラウンド初戦のキューバ戦に2番ショートで僕がスタメン。「ヤバっ……」って感じです(笑)。その前の晩は福留さんと食事をしていたんです。

――キューバ戦前夜の時点では、ご自身のスタメンはないという認識でいたんですか?

片岡 いや、一応言われていました。ショートは、キューバの先発が左ピッチャーのチャップマンだったら片岡。右ピッチャーだったらムネリン(川崎)でいくと。そういう話を、福留さんとご飯を食べながらしていて。「チャップマンがきたら、明日僕スタメンなんですよね」と福留さんに言ったら「大丈夫だよ。普通にやれば大丈夫だから」って飄々(ひょうひょう)とした感じで福留さんは言うわけです(笑)。食事の最中に当時のスコアラーの三井(康浩)さんから電話がかかってきて、「おいヤス、落ち着いて聞けよ。明日スタメンだから、明日お前でいくから」と言われて、電話を切ってすぐ福留さんに「明日スタメンなんで、帰ります!」と伝えて部屋に帰って(笑)。一気に心臓の鼓動が高まる感じもあって、確かその夜はあまり寝られなかったと思います。

――急遽(きゅうきょ)のスタメンでも開き直ったことで結果が出たという記事を読んだのですが、気持ち的には吹っ切れた感じで試合に臨めたのでしょうか?

片岡 試合前に球場でメンバー発表をするときに、1人ずつ呼ばれるんですよね。一番バッターのイチローさんがいて、僕は二番だから、イチローさんの次に呼ばれるんですよ。それで僕がイチローさんの横に並んでいたので「これはもうすごいことだな。もう今後一生こんなことはないな」と自分に言い聞かせて、そのへんからもう腹をくくったというか。もうこれ以上幸せなことはないし、やるしかない。そういう感じで試合に挑みましたね。

――キューバ戦は2番ショートでスタメン出場。3回の第2打席ではチャップマンからヒットも打ちました。風邪で欠場した「ナカジのために」という記事も読みました。 

片岡 その思いはありましたね。ナカジが風邪を引いてるから、スーパー(マーケット)に差し入れを買いに行きました。果物を買っていったんですけど、「これどうやって食うねん!ナイフがないと食えへん!」って(笑)。日本で売っているような小分けにされた果物じゃなくて、いかにもアメリカっぽいごろっとしたオレンジ、リンゴ、バナナ、パイナップルの詰め合わせで、「これどうやって食うねん!」って(笑)。結局、ナカジも決勝戦に間に合っているわけなので、僕の差し入れも効いたわけですけどね(笑)。

この記事を書いた人

スポーツ新聞社、編集プロダクションを経て宝島社に入社。2014年よりsmart編集部に所属し、2022年9月よりsmart Webの専任担当。タレント特集を中心に、ファッション、スニーカー、腕時計、美容などを幅広く担当。3度のメシより野球好きで、幼稚園年長の頃からの熱狂的な東京ヤクルトスワローズファン。最近はサウナにハマっており、smartサウナ部の広報担当も兼務。

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