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連載真説 星野仙一 ~誰も知らない“鉄拳制裁”の裏側~

「おっさんボケェ!」と叫んだ主砲・山﨑武司が語る星野仙一との愛憎11年

執筆者: ノンフィクションライター/長谷川 晶一

星野から学んだのは「生きるか死ぬかの闘争心」

 このとき星野は、山﨑にコーチの打診をしている。

「星野さんに呼ばれて、“いずれは監督をやりたいんだろう? だったら、オレの下で監督業を学べよ”と言ってもらいました。普通の人であれば、“はい、わかりました”って言うのかもしれないけど、僕にはそれはできなかった」

 イーグルスが誕生して7年が経過していた。それまで、後輩たちに対して「プロであること」を厳しく求め続けてきた。「指導者」という安定した立場を得ること、自分の保身のために星野の提案を受け入れることは、自分自身にウソをつくような気がした。後輩たちに顔向けできない思いもあった。だから山﨑は、あくまでも現役続行にこだわり、古巣・ドラゴンズへの移籍を決めた。

「ドラゴンズへ移籍してからは、“どうすれば星野さんを見返すことができるか?”と、それだけを考えていましたね。楽天戦でサヨナラヒットを打ったことがあるんですけど、そのときがようやく見返した瞬間でしたね。きっとはらわたが煮えくり返っていたはず(笑)」

 山﨑が口にしたのは13年5月17日、楽天・青山浩二から放ったサヨナラ打のことだった。「心からのガッツポーズが自然に出たよ」と山﨑は笑った。そしてこの年限りでユニフォーム脱ぐことを決めた。プロ生活27年の完全燃焼だった。

「星野さんから学んだのは、生きるか死ぬかの闘争心でした。斬るか斬られるか、勝負に対する厳しさを教えてもらいました。最後までボタンを掛け違えたままだったけど、星野さんから学んだ闘争心はプロで長くプレーするために必要なことだったと思います」

 愛憎半ばする思いを抱きつつ、長年にわたって接してきた星野をひと言で表すとすればどんな表現になるのか? 山﨑に問うと、しばらくの間、視線を宙に泳がせ、ようやく口を開いた。

「パッと浮かんだのは《二重人格》という言葉です。ユニフォームを着ているときは“お前なんか二度と使わん”とか、“死んじまえ”なんて厳しい言葉を投げつけられるけど、宿舎の食事会場では普通の気のいいおっちゃんに戻っているからね。野球に関しては《独裁者》だけど、プライベートは決してそうじゃない。だけど、《二重人格》でも《独裁者》でも、何か違う気がするし……」

 しばらくの沈黙の後、山﨑の笑顔がはじけた。

山﨑武司が考える星野仙一とは?――“星”

山﨑武司が考える星野仙一とは?――“星”

「……あっ、名前にかけるわけじゃないけど、星野さんは《星》です。どこに行っても目立っていたし、常に人の中心で輝いていた。うん、《星》ですね。それがピッタリな表現だと思います」

 「自分は星野チルドレンではない」という思いとともに星野と接してきた。心の奥底には慕う気持ちを抱きつつ、「おまえらと違って、オレは星野仙一と闘うよ」という思いでプレーを続けてきた。それが原動力になってプロ野球選手として完全燃焼をした。その思いは、星野が亡くなった後、さらに強くなった。

「僕は決して《星野組》でも、《星野チルドレン》でもなかった。星野さんも、僕のことは扱いづらかったと思います。だけど、“星野さんのおかげでこの世界で飯を食えるようになったんだ”という感謝の思いは当然あります。今になってようやく、“僕は星野チルドレンにヤキモチを焼いていたんだな”という思いは強くなっていますね」

(次回、権藤博編に続く)

Profile/山﨑武司(やまさき・たけし)
1968年11月7日生まれ。愛知県出身。愛工大名電高校から、86年のドラフト2位で中日ドラゴンズ入団。アメリカマイナー留学を経て、89年に一軍初出場。星野第二次政権が誕生した96年に39本塁打を放ち、ホームラン王を獲得。2003年にトレードでオリックス・ブルーウェーブに移籍。04年オフに戦力外通告を受け、05年からは新球団東北楽天ゴールデンイーグルスへ。07年には43本塁打で11年ぶりのホームラン王、打点王の二冠に輝く。12年からは古巣のドラゴンズへ。13年限りで現役を引退。現在は野球評論家。

Profile/星野仙一(ほしの・せんいち)
1947年1月22日生まれ。岡山県出身。倉敷商業高校、明治大学を経て、68年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。気迫あふれるピッチングで、現役通算500試合に登板し、146勝121敗34セーブを記録。現役引退後はNHK解説者を経て、87~91年、96~2001年と二期にわたって古巣・ドラゴンズを率いる。02~03年は阪神タイガース、07~08年は日本代表、そして11~14年は東北楽天ゴールデンイーグルスで監督を務める。17年、野球殿堂入り。翌18年1月4日、70歳で天に召される。

インタビュー&文=長谷川晶一
撮影=永谷正樹

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  • 星野ドラゴンズ政権下で主砲も担った山﨑武司
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  • 星野ドラゴンズ政権下で主砲も担った山﨑武司
  • 山﨑武司が考える星野仙一とは?――“星”

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この記事を書いた人

1970年生まれ。早稲田大学卒業後に出版社へ入社し、女子高生雑誌『Cawaii!』などのファッション誌の編集に携わる。2003年からフリーに。ノンフィクションライターとして活動しながら、プロ野球12 球団すべてのファンクラブに入会する「12 球団ファンクラブ評論家®」としての顔も持つ。熱狂的な東京ヤクルトスワローズファンとしても知られ、神宮球場でのホームゲームには全試合駆けつける。単行本が7刷となり文庫化もされている『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(単行本:インプレス、文庫:双葉社)をはじめ、ヤクルト関連の著書・連載多数。スポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)にも定期的に寄稿中。日本文藝家協会会員。

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