「生まれ変わっても、星野監督と野球がしたい」愛弟子・中村武志が語る、世間が抱く“闘将”星野仙一への誤解
執筆者: ノンフィクションライター/長谷川 晶一

「クロマティ乱闘騒動」後のもう一つの乱闘劇
星野監督初年度となる87年シーズン、プロ3年目にしてようやく中村は一軍初出場を果たした。43試合に出場し、打率・212、3本塁打、11打点を記録し、正捕手・中尾義孝に一歩迫る躍進を遂げた。この年の6月11日、今でも語り継がれる乱闘騒動が起こった。舞台は熊本・藤崎台球場。星野にとっての因縁の相手となる読売ジャイアンツ戦で、世に言う「クロマティ乱闘騒動」が起こったのである。
「マウンドには宮下(昌己)さんが上がっていました。対するバッターはクロマティ。事前のミーティングでは、“インコースの厳しいところを突け”と言われていました。今だから言えるけど、あれは《計画的》でした。事前に宮下さんは“行くぞ!”と言い、僕も“わかりました”と答えていましたから」
宮下が口にした「行くぞ!」というのは、「当てるぞ」という意味であり、つまりは故意死球を意味するものだった。
「とはいえ、最初からインコースに構えると、“いかにも”という感じなので、ダミーでアウトコースに構えました。そして投球はクロマティの背中に直撃。一瞬にして乱闘騒ぎが始まりました。結論から言えば、あれは僕がすべて悪かったんです」
クロマティへの厳しい攻めはベンチからの指示であり、実際に危険球を投じたのは宮下である。どうして中村が「すべて悪かった」のか?
「本来であれば、マウンドに向かうクロマティを何としてでも僕が止めなければいけなかったんです。でも、あのとき僕はパニックに陥っていて、バッターを止めるのではなく、コロコロ転がったボールを追っていました。普通、バッターもピッチャーも“キャッチャーが止めてくれるだろう”と思っているものなのに、僕がもたもたしていたものだから、クロマティもマウンドに行かざるを得なくなってしまったんです……」
一目散にマウンドに向かったクロマティの右ストレートが宮下の顔面にヒットする。球場は一瞬にして騒然とし、両軍入り乱れての大乱闘劇が始まった。もちろん、星野も真っ先にグラウンドに飛び出してくる。このとき「事件」が起こった。

ジャイアンツの王貞治監督の下に詰め寄り、星野が右の拳を振り上げたのである。本連載において、明治大学の1学年先輩である高田繁は次のように述べている。
「いくら星野であっても、普通は王さんには手を出しませんよ。でも、あのときは激高していたんでしょう。ただ、さすがに後で“しまった”と思ったはず。あのときだけだと思いますよ、星野にとっての《計算外》は。それ以外はずっと計算していたし、《星野仙一》を演じていましたから」
しかし、中村は「いや、それは誤解です」と主張する。
「世間では、“星野監督があの王さんに手を挙げた”と考えている人もいるようですけど、そうではないんです。あれは、“おたくのクロマティは拳で殴ったんですよ”という、王さんへのアピールです。“いくら何でもグーはダメですよ、グーは”という意味だったんです。決して、王さんに手を挙げようとしたわけではないんです」
前述した中村の自著には、こんな一節がある。
《宿泊ホテルに帰ってから、私は星野監督に呼ばれて。それは……、本当に怖かったです。注意どころではなかったです。クロマティ事件におけるもう1つの乱闘でした。》
それは、当時20歳の中村と、監督1年目、当時40歳の星野との濃密な関係の始まりでもあった——。
(中村武志「後編」に続く)
Profile/中村武志(なかむら・たけし)
1967年3月17日生まれ。京都府出身。花園高校から84年ドラフト1位で中日ドラゴンズ入団。星野が監督に就任した87年に一軍初出場を果たすと、翌88年には正捕手に抜擢され、リーグ制覇に貢献。星野に「こいつのおかげで優勝できた」と言わしめた。星野とは87~91年の第一次政権、96~2001年の第二次政権と、すべての期間でともに過ごした。02~04年は横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)、05年は東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍し、この年限りで現役引退。その後、横浜、中日、千葉ロッテマリーンズ、韓国球界でコーチを歴任。星野とは生涯にわたる交流が続いた。
Profile/星野仙一(ほしの・せんいち)
1947年1月22日生まれ。岡山県出身。倉敷商業高校、明治大学を経て、68年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。気迫あふれるピッチングで、現役通算500試合に登板し、146勝121敗34セーブを記録。現役引退後はNHK解説者を経て、87~91年、96~2001年と二期にわたって古巣・ドラゴンズを率いる。02~03年は阪神タイガース、07~08年は日本代表、そして11~14年は東北楽天ゴールデンイーグルスで監督を務める。17年、野球殿堂入り。翌18年1月4日、70歳で天に召される。
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インタビュー&文=長谷川晶一
撮影=永谷正樹
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この記事を書いた人
1970年生まれ。早稲田大学卒業後に出版社へ入社し、女子高生雑誌『Cawaii!』などのファッション誌の編集に携わる。2003年からフリーに。ノンフィクションライターとして活動しながら、プロ野球12 球団すべてのファンクラブに入会する「12 球団ファンクラブ評論家®」としての顔も持つ。熱狂的な東京ヤクルトスワローズファンとしても知られ、神宮球場でのホームゲームには全試合駆けつける。単行本が7刷となり文庫化もされている『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(単行本:インプレス、文庫:双葉社)をはじめ、ヤクルト関連の著書・連載多数。スポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)にも定期的に寄稿中。日本文藝家協会会員。
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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