「生まれ変わっても、星野監督と野球がしたい」愛弟子・中村武志が語る、世間が抱く“闘将”星野仙一への誤解
執筆者: ノンフィクションライター/長谷川 晶一

星野監督誕生によって出場機会が激増
両者の最初の出会いは1986(昭和61)年秋、星野の中日ドラゴンズ監督就任が決まった直後、静岡・浜松での秋季キャンプのことだった。当時、中村はプロ2年目を終え、いまだ一軍出場がなかった。
「僕は子どもの頃からジャイアンツファンだったので、現役時代の星野さんのイメージはなかったんです。むしろ、NHKの解説者、キャスターとして全国区の人という印象で、“怖い人”というイメージはまったくありませんでした」
しかし、現役時代の星野を知る先輩選手たちはそうではなかった。彼らの間に動揺が走っていたことに、中村はすぐに気がついた。
「監督就任が決まった後、現役時代からつき合いのある鈴木(孝政)さん、小松(辰雄)さん、牛島(和彦)さん、宇野(勝)さんたちがみんな一斉にざわついていました。だけど、それ以上に名古屋全体が大騒ぎをしていたことがすごく印象に残っています」
プロ入り以来、一度も一軍出場がなく、いつクビになってもおかしくない状況だった。たとえ監督が誰であろうと、当時19歳の中村は自分のことで必死だった。しかし、秋季キャンプ初日に、先輩たちが騒然としていた理由をすぐに理解する。
「初日のミーティングは約2時間続きました。僕は若手だったので最前列に座っていたんですけど、いきなり“人が話しているときは、人の目を見ろ!”と言われたので、ずっと背筋を伸ばしたまま、まばたきもできない、息をしても怒られるような緊張感が続きました。実際、次の日には全身が筋肉痛になっていましたから(笑)」
全体練習は朝9時から始まる。しかし、中村は6時に起床し、7時から個人練習に取り組むよう指示された。16時に全体練習が終わってからも、19時までグラウンドに残り、宿舎で夕食をとってからは夜間練習に励む。
「1日12時間以上は練習していました。苦しかったけど、それでも最後まで必死に食らいついて乗り切ることができたことで、翌年の春季キャンプで初めて一軍帯同を許されたんです」
いまだ実績のないプロ3年目の若者。その雄飛の瞬間が近づいていた。
この記事を書いた人
1970年生まれ。早稲田大学卒業後に出版社へ入社し、女子高生雑誌『Cawaii!』などのファッション誌の編集に携わる。2003年からフリーに。ノンフィクションライターとして活動しながら、プロ野球12 球団すべてのファンクラブに入会する「12 球団ファンクラブ評論家®」としての顔も持つ。熱狂的な東京ヤクルトスワローズファンとしても知られ、神宮球場でのホームゲームには全試合駆けつける。単行本が7刷となり文庫化もされている『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(単行本:インプレス、文庫:双葉社)をはじめ、ヤクルト関連の著書・連載多数。スポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)にも定期的に寄稿中。日本文藝家協会会員。
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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