「星野仙一には総理大臣になってほしかった…」元ヤクルト・松岡弘が今明かす、“故郷の大先輩”の巨大すぎる器と帝王学
執筆者: ノンフィクションライター/長谷川 晶一

「自分の立場をわきまえろ」という星野の教え
星野と松岡との交流は現役引退後も続いた。その主な舞台となったのが、両雄にとっての故郷・岡山である。松岡が口にしたのは、石破茂内閣時代に財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融担当)、デフレ脱却担当大臣を務めた衆議院議員・加藤勝信の名前と、「キュウロクカイ」という耳慣れぬ言葉だった。
「加藤勝信さん、知ってるでしょ? 勝信さんのお父さんが加藤六月さんで、岡山出身なんですよ。それで、現役時代から六月さんと星野さんは交流があって、岡山県の野球関係者による《球六会》という集まりを開いていたんだよね。僕ももちろん、加藤先生にはお世話になっていて、一緒に食事をしたり、ゴルフをしたり、選挙の応援に行ったこともある。食事はいつも超一流の店で、ゴルフ場もなかなか予約の取れない超名門コースだったな」
松岡の口から飛び出したのは、第10代、20代の農林水産大臣などを歴任した、故加藤六月の名前だった。かつて加藤六月の後援会誌に「加藤さんは私の父親のようだ」と寄せたという星野を通じて、松岡も「球六会」のメンバーとなった。会の主役は加藤であり、星野だった。政界の大物を相手に堂々とふるまう星野の姿を見て、松岡は「さすがだなと感じていた」という。加藤の死とともにすでに会は解散しているが、この活動を通じて星野から学んだことがある。
「星野さんはいつも僕に、“自分の立場を常に忘れるな”と言っていたな。今日はどうしてここにいるのか? 自分の立場はどうなのか? 自分を中心とした会なのか、そうでないのか? 常に自分の置かれている立場を忘れてはいけない。そんなことを何度も、何度も言われたものだよね」
加藤六月を筆頭に、岡山県政を担う政治家がたくさん臨席している。野球界においても、地域の野球振興に尽力した地元の実力者が多く参加している。だからこそ星野は「常に自分の立場をわきまえるように」と松岡に説いた。
「僕らはプロの世界で、多少なりとも実績を残すことができた。でも、プロには行けず、選手としての実績がない人も、球六会にはたくさんいる。だから、決してうぬぼれるな。先輩を立てて、自分は一歩下がれ。そんなことをいつも注意されました」
それは、上下関係を重んじ、「オヤジ転がし」と称されることの多い星野ならではの信念だった。本連載の田淵幸一編において、不愉快な人物との交流について「これはビジネスなんだ。どんなに嫌いなヤツでも、顔に出したらダメだ」と叱られたと、田淵は発言している。それは星野ならではの哲学であり、処世術であった。
この記事を書いた人
1970年生まれ。早稲田大学卒業後に出版社へ入社し、女子高生雑誌『Cawaii!』などのファッション誌の編集に携わる。2003年からフリーに。ノンフィクションライターとして活動しながら、プロ野球12 球団すべてのファンクラブに入会する「12 球団ファンクラブ評論家®」としての顔も持つ。熱狂的な東京ヤクルトスワローズファンとしても知られ、神宮球場でのホームゲームには全試合駆けつける。単行本が7刷となり文庫化もされている『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(単行本:インプレス、文庫:双葉社)をはじめ、ヤクルト関連の著書・連載多数。スポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)にも定期的に寄稿中。日本文藝家協会会員。
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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