連載真説 星野仙一 ~誰も知らない“鉄拳制裁”の裏側~

「下級生への暴力なんてなかった」元ヤクルト・松岡弘が証言する、高校時代の星野仙一が怖くても慕われた理由

執筆者: ノンフィクションライター/長谷川 晶一

「下級生への暴力なんてなかった」元ヤクルト・松岡弘が証言する、高校時代の星野仙一が怖くても慕われた理由

誕生3カ月前に、父・仙蔵が他界

 松岡が述懐する。

「僕の手元に、試合直後の写真が残っているけど、やっぱり疲れ切っているのがよくわかるよね。そりゃそうだよ。あの人の場合、“自分が何とかしなければ……”という思いで、ずっと人の面倒ばかり見ているんだから。このときも、“全部、オレが悪かった。オレが活躍していれば、オレが何とかしていれば……”って、考えていたと思う。疲れ切って当然のことだったと思いますね」

 翌65年、星野は島岡吉郎監督率いる明治大学に進学し、1年遅れた66年から、松岡は三菱重工水島で野球を続けることになった。ここでいったん、両者の人生は別れたものの、なおも「星野との接点」は続いたという。

「高校卒業後、三菱重工水島で野球を続けることを決めたんだけど、ここの青葉寮の寮母さんが星野さんのお母さんだったんだよね。もともと、星野さんのお父さんは工場長をされていて、お父さんが亡くなった後も、お母さんは寮母として住み込みで働いていました」

 松岡の言葉にあるように、星野の父・仙蔵は三菱重工水島航空機製作所の所長を務めていた。だが、仙蔵は星野が生まれる3カ月前の46年10月に、脳腫瘍でこの世を去っている。つまり、星野は父の顔を知らずに育ったのである。

 母の敏子は長女、次女、そして仙一の3人を女手一つで育てた。朝は豆腐屋、昼間は三菱重工の寮母、そして夜は知人の経営する飲食店で皿洗いをした。三菱重工水島入社後、松岡は星野の母と出会った。

「本当に一生懸命働いていましたよね。その姿を星野さんも見ていたはず。母親は懸命に働いて、お姉さんたちが愛情込めて育てた。お姉さんとは何度か対談をしているんだけど、“小さい頃から面倒見がよかった”って教えてくれたよね」

「下級生への暴力なんてなかった」元ヤクルト・松岡弘が証言する、高校時代の星野仙一が怖くても慕われた理由

 そして松岡は「あるエピソード」を披露する。

「近所に住む同級生が難病を抱えていた。星野さんは、その子を背負って学校まで一緒に行って、授業が終わると練習所まで彼を背負っていって、練習後には自宅まで送り届ける。それをずっと続けていたといいますからね」

 星野に関する資料をたどっていると、このエピソードは頻出する。小学6年生の1年間、星野は毎日、筋ジストロフィーを患っていた同級生を背負って通学していた。卒業後、そして大人になってからも両者の交流は続き、彼が早世するまで星野は面倒を見たという。松岡は続ける。

「高校卒業後、星野さんが明治大学に入学してからはたまに会うぐらいだったけど、プロに入って今度はグラウンドで会う機会が増えた。でも、プロになってからも星野さんは何も変わっていませんでしたね」

 明治大学卒業後、星野は68年ドラフト1位で中日ドラゴンズへ、松岡は一足先に67年ドラフト5位でサンケイアトムズに入団。ともにセ・リーグチームのエース投手として相まみえることになった——。

松岡弘「後編」に続く)

Profile/松岡弘(まつおか・ひろむ)
1947年7月26日生まれ。岡山県出身。星野と同じ倉敷商業高校から三菱重工水島を経て、67年ドラフト5位でサンケイアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)入団。快速球を武器にローテーション入りを果たし、やがてエースとして君臨。78年には広岡達朗監督の下、チーム初となるリーグ制覇、日本一の胴上げ投手となり、同年、沢村賞を獲得。85年シーズンを最後にユニフォームを脱ぐ。通算191勝190敗41セーブ。星野とは高校時代の先輩後輩の間柄であり、生涯にわたって交流が続いた。

Profile/星野仙一(ほしの・せんいち)
1947年1月22日生まれ。岡山県出身。倉敷商業高校、明治大学を経て、68年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。気迫あふれるピッチングで、現役通算500試合に登板し、146勝121敗34セーブを記録。現役引退後はNHK解説者を経て、87~91年、96~2001年と二期にわたって古巣・ドラゴンズを率いる。02~03年は阪神タイガース、07~08年は日本代表、そして11~14年は東北楽天ゴールデンイーグルスで監督を務める。17年、野球殿堂入り。翌18年1月4日、70歳で天に召される。

インタビュー&文=長谷川晶一
撮影=大村聡志

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  • 1964年、高校3年、星野の「最後の夏」
  • 倉敷商業高校後輩・松岡が語る「星野先輩」
  • 誕生3カ月前に、父・仙蔵が他界
  • 誕生3カ月前に、父・仙蔵が他界

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この記事を書いた人

1970年生まれ。早稲田大学卒業後に出版社へ入社し、女子高生雑誌『Cawaii!』などのファッション誌の編集に携わる。2003年からフリーに。ノンフィクションライターとして活動しながら、プロ野球12 球団すべてのファンクラブに入会する「12 球団ファンクラブ評論家®」としての顔も持つ。熱狂的な東京ヤクルトスワローズファンとしても知られ、神宮球場でのホームゲームには全試合駆けつける。単行本が7刷となり文庫化もされている『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(単行本:インプレス、文庫:双葉社)をはじめ、ヤクルト関連の著書・連載多数。スポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)にも定期的に寄稿中。日本文藝家協会会員。

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