「嫌いな人こそ笑顔で接しろ」盟友・田淵幸一も驚いた星野仙一流“ジジイ殺し”テクニックと飴と鞭の“人心掌握術”
執筆者: ノンフィクションライター/長谷川 晶一

まるで、富士山のような存在感を誇った男
2011年、星野は東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任する。このときもまた、田淵のもとに連絡が入り、「ブチ、行くぞ!」とひと言だけ告げたという。
「で、オレが“どこに?”って尋ねると、星野は“楽天や”って言った。オレは“ノー”とは言わないから、このときも楽天にお世話になることを決めたけど、結局は2年でチームを去ることになったんだけどね」
チーム全体が極度の打撃不振に陥り、就任初年度の6月には打撃コーチ職を解かれ、ヘッドコーチ専任となった。翌12年もヘッドコーチを務めたが、この年のシーズン終了後、田淵はチームを去った。そして13年には田中将大の大活躍もあって、イーグルスはパ・リーグ、そして日本シリーズを制した。星野にとって、監督人生初となる日本一だった。
「その後、お互いにユニフォームを脱いでからは、その距離はもっと縮まったよ。ゴルフに行ったり、食事に行ったりね。彼は人気者だから、いろいろなところに呼ばれるので、オレもよく同席させてもらってね。でも、いつの頃からかな、“背中が痛い”とか、“腰が痛い”とか口にする機会が増えてきたんだよね」
星野の身体を病魔がむしばんでいた。けれども、彼はそれをひた隠しにしていたという。そして18年1月4日、星野は天に召された。しみじみとした口調で田淵は言う。
「もっと長生きしてほしかったよ。亡くなってからも忘れたことはないよ。ああやって写真を飾っているから、いつも彼の姿を目にしているから。もしも今も生きていたら、ゆくゆくはコミッショナーにでもなっていたんじゃないかな? 人を動かすのが好きだったから、きっと向いていたと思いますよ。彼は政財界、皇室、警察、あらゆる人脈を誇っていたから」
本連載に登場した江本孟紀、高田繫、そして田淵が口にしていた「政治家タイプだ」という発言について尋ねると、田淵の口元から白い歯がこぼれた。

「オレ、彼に言ったことがありますよ。“お前、政治家になれよ”って。で、“そうしたら、オレが会計係になるから”って言うと、“お前はごまかしそうだからダメだ”って笑っていたよ。でも、そもそも彼は政治家なんか目指していなかったけどね」
生前の星野は、色紙を頼まれると「夢」としたためていた。星野の夢は何だったのか? 田淵に問う。しばらく考えた後、こんな言葉を口にした。
「星野の夢は、野球で日本一になること。トップに立つことですよ。監督として、中日、阪神では日本一になれなかった。オリンピックでも敗れた。だから、楽天で日本一になれたことは本当に嬉しかったはず。夢をかなえて亡くなったんじゃないのかな?」
これまで取材した人々同様、「星野仙一という人物をひと言で表すとしたら?」と最後に尋ねる。少しだけ考えた後に、笑顔で田淵は言った。
「例えるならば、《富士山》だな。みんなから愛され、みんなから好かれ、みんなから注目されるはるか彼方にそびえる存在。オレにとって、仙ちゃんは富士山のような人だったよ」
それは、学生時代からの親友ならではの温かい発言だった。
田淵幸一が考える星野仙一とは?――“富士山”

(第4回、松岡弘編に続く)
Profile/田淵幸一(たぶち・こういち)
1946年9月24日生まれ、東京都出身。法政大学第一高校から法政大学を経て、68年ドラフト1位で阪神タイガース入団。大学時代には東京六大学野球のリーグ記録となる通算22本塁打を放つ。プロ1年目から正捕手に抜擢され、22本塁打で新人王に輝き、75年にはホームラン王も獲得。78年オフ、西武ライオンズに移籍すると、82年、83年のリーグ優勝、日本一に貢献。84年シーズン終了後に引退。90年からはダイエーホークス監督に就任。2002年には星野に請われ、古巣・タイガースの打撃コーチに。07年には、星野監督の下、北京五輪日本代表のヘッド兼打撃コーチ、11年からは星野とともに東北楽天ゴールデンイーグルスへ。2020年に野球殿堂入り。星野とは東京六大学時代からの親友であり、盟友である。
Profile/星野仙一(ほしの・せんいち)
1947年1月22日生まれ、岡山県出身。倉敷商業高校、明治大学を経て、68年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。気迫あふれるピッチングで、現役通算500試合に登板し、146勝121敗34セーブを記録。現役引退後はNHK解説者を経て、87~91年、96~2001年と二期にわたって古巣・ドラゴンズを率いる。02~03年は阪神タイガース、07~08年は日本代表、そして11~14年は東北楽天ゴールデンイーグルスで監督を務める。17年、野球殿堂入り。翌18年1月4日、70歳で天に召される。
関連する人気記事をチェック!
インタビュー&文=長谷川晶一
撮影=大村聡志
この記事の画像一覧
この記事を書いた人
1970年生まれ。早稲田大学卒業後に出版社へ入社し、女子高生雑誌『Cawaii!』などのファッション誌の編集に携わる。2003年からフリーに。ノンフィクションライターとして活動しながら、プロ野球12 球団すべてのファンクラブに入会する「12 球団ファンクラブ評論家®」としての顔も持つ。熱狂的な東京ヤクルトスワローズファンとしても知られ、神宮球場でのホームゲームには全試合駆けつける。単行本が7刷となり文庫化もされている『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(単行本:インプレス、文庫:双葉社)をはじめ、ヤクルト関連の著書・連載多数。スポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)にも定期的に寄稿中。日本文藝家協会会員。
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
この記事をシェアする
この記事のタグ
関連記事















