“フェミ男”ブームの象徴・武田真治が振り返る1990年代「アゴも動かなくなった」時代を救った忌野清志郎という“天使”
執筆者: 編集者・ライター/高田秀之
雑誌smartが創刊30周年を迎える2025年。そのアニバーサリーイヤー特別企画として、1990年代に数多くsmartの表紙を飾っていただいた方々に当時の話を伺う連載『Back to 90s』。第9回のゲストは、俳優として映画、ドラマ、舞台に出演する傍ら、バラエティでも重宝される武田真治。NHK『みんなで筋肉体操』では鍛え上げられた肉体を披露し、サックス奏者としても楽曲をリリース。数々のアーティストと共演するなど、多方面にマルチな才能を発揮する、往年の“フェミ男”ブームでは時代の頂点に立った彼が語る90年代とは?
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当時のフェミ男ブームは「食えりゃなんでもよかった」
――THE BIG BAND!!(武田真治がDJ DRAGON、いしだ壱成らと結成していたグループ)に入ったいきさつを教えてもらえますか?
武田真治(以下、武田):1990年に上京して、バラエティ番組のマスコットボーイみたいなことをしていたんですけど、当時のスタイリストさんがいつもSUPER LOVERS(スーパーラヴァーズ)という若者向けのブランドの服を持ってきてくれて、テレビで着たら返却しないでよかったんですね。そのままいただけたんです。僕はその頃、着るものの心配より食べ物の心配をしなきゃいけないぐらい本当にお金がなかったから、すごくありがたかったんです。
その後、直接ショップに行くようにもなって、そこの店員さんが今でも付き合いのあるDJ DRAGON(ドラゴン)だったんです。その後、彼がDJプレイする夜に一緒にクラブにも遊びに行くようになりました。その頃はアシッドジャズが流行っていて、僕はすでにサックスを始めてましたから、ジャズやフュージョンは知ってたけど、もっとグルーヴィーなアシッドジャズというロンドンからのニュームーブメントにドハマりして、さらにアシッドジャズに特化したDJの人を紹介してもらったりしては、それを聴きにクラブへ最終電車で行って始発で帰るみたいな生活が始まりました。
で、ドラゴンが自身のDJの持ち時間に、ドラムとベースは打ち込みでギターとパーカッションが生演奏のユニットでラップをパフォーマンスしていて、これ僕も参加できるかもなと。サックスやってるよって話をして、じゃあ、ちょうどいいじゃんみたいな感じで始まったんです。演奏やプログラミング技術のレベルもあって、アシッドジャズというよりレゲエやスカっぽいものになっていたかなぁ。それで僕が壱成とドラマで共演して、それから彼をメンバーに紹介したって感じですね。
――当時のフェミ男ブームは本人的にはどう思ってたんですか?
武田:食えりゃなんでもよかったですね。
――(笑)。
武田:当時の取材とか撮影って、今より予算も潤沢でとにかくお弁当がよく出たんですよ。だから、ご飯食べられるならなんでもよかった(笑)。
――その頃ってブームのアイコンになっていたから、上京してきた頃に比べれば人気も格段に上がっていたと思うんですけど。
武田:スーパーラヴァーズで洋服をいただいていたときも、お店のイチオシのものじゃなくて、売れ残っちゃった小さいTシャツとかなんですよ。テレビに出るときもクラブで演奏するときもそれを着ていたら、「男の子なのにヘソが出てる」って、それが“フェミ男”って言われるようになっちゃったんです。
フェミニストやフェミニズムなんて言葉も知らないし、一般的でもなかった頃にいきなり“フェミ男”……結局どういう意味だったんだろう(笑)。ヘソなんて出したくて出していたわけじゃなくて、出てただけなんですよね(笑)。もらったTシャツが短かっただけで。でも、なんかそれがかっこいいことになって。まあ、似合っていたんでしょうね、体型的に。
――そうですね。中性的な魅力があったというか。
武田:あと、今の僕が言うのも変だけど、マッチョイズムに世間が辟易(へきえき)してたんじゃないですかね。“男は男らしく”が、ちょうど行き詰まった時代なんじゃないかな。
――確かに日焼けしたスポーツマンタイプから人気が変わった時期かもしれません。
武田:人気の俳優さんも変わっていきましたしね。熱血、情熱、正義みたいに、誰もが現実ではアカレンジャーみたいに物事すべてを乗り越えられるわけではないってことに世間が気づいて、世の中を斜めに見てたような僕らに多くの若者が共感してくれたのかもしれないです。時代も規模も違うけど、ジェームス・ディーンが50年代のアイコンになったみたいに。
――自分のファッションの好みはどうだったんですか?
武田:なんでもよかった。どうでもよかったですね。
この記事を書いた人
流行通信社、ロッキング・オン社をへて、1990年に宝島社入社。Cutie編集長ののち1995年にsmartを創刊。2024年に退社し、現在はフリー。
Instagram:@htakada1961
Website:https://smartmag.jp/
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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