「遊んでないけど、遊んでた」スチャダラパーBoseが語る、青春の裏原宿とあの日の「今夜はブギー・バック」
執筆者: 編集者・ライター/高田秀之
「絶対ラッパーじゃんって格好をしてるのに、全くラップ聴いてないやつとかいたよね」
――「サマージャム’95」もそうだけど、妄想の歌詞ですよね。
Bose「そう。妄想なんだけど、それまで友達にいないタイプの女の子から“ウチらもそういうところで遊んでたんですよ”って声かけられたりして(笑)。テレビに出演したりしてもそうとしか思ってない人が多くて、説明するのも面倒くさいから、“はい、そうです”って言ってるという」
――96年にはスチャダラパーが中心の大LB夏祭り(注1)が日比谷の野音でありました。
Bose「3枚目のアルバムを出したときに、みんなが入れる曲を無理やり作って、巻き込んでいった感じですね。当時下北沢にあったZOOからSLITSにかけて、みんなでイベントもやってて、アメリカのネイティブ・タンみたいに、友達と遊んでる感じにしたかった」
注1……スチャダラパーを中心としたリトル・バード・ネイション(略称LB、LB NATION)にはTOKYO NO.1 SOUL SET、脱線3、四街道ネイチャー、キミドリなどが参加していた
――同じ年にはさんピンCAMP(注2)もあって、このへんで日本のヒップホップが盛り上がったと思うんですが。
Bose「さんピンはぼくらとは毛色が違って、ぼくらはよりオタクっぽいというか、サブカルっぽいというか」
注2……ECDが提唱したイベントで、ライムスター、ブッダブランド、シャカゾンビ、キングギドラ、YOU THE ROCKなどが出演した
――文系のLBに対して、ちょっとハードコアなさんピンというイメージでしたが。
Bose「学歴で言うと、さんピンのほうが完全に上なんだけどね(笑)。偏差値はLBが50としたら、さんピンは60~70とかゴロゴロいるでしょう。学歴もだし、親の収入も違ったんじゃない(笑)?」
――その頃のBoseさんのファッションは?
Bose「90年代からシンちゃん(スケートシング)とは仲良く遊んでいて、シンちゃんがその界隈の洋服をやってたから、作ったTシャツをもらったり、友達が洋服屋になって、そこでできたものを試しに着せられて、そのままもらったりしてましたね」
――自分で買ったりとかは?
Bose「BAPEができるまでは欲しい服が日本にあまり売ってなかったから、ニューヨークに行ったときにパタゴニアとかをスポーツショップに行って買ってた。チャンピオンのトレーナーとかニューバランスの576とか、今では超定番のものを」
――まだ並行輸入しかなかったんですかね。
Bose「そうそう、ノーウェアも最初、NIGOくんがニューヨークに買い付けに行ってましたよね。この頃(表紙を飾った98年のsmartを指して)になると、もう当たり前にね、苦労しなくても手に入るようになった」
――裏原がブームになった頃ですね。
Bose「94〜95年頃までって、そういう格好をしてる人は自分らか友達しかいなかったから。街でそういうフォルムの人がいると、たいてい友達でした。それが、ノーウェアに人がすごく並ぶようになって、社会現象的に“裏原宿”って言われだしてから、自分たちみたいなファッションの人も多くなったかな」
――それはどうだったんでしょう?
Bose「当時のラッパーの格好って、ちょっとぽっちゃりしてても似合うから、体の大きい人はそっちに行きがちで。だから、絶対ラッパーじゃんって格好をしてるのに、全くラップ聴いてないやつとかいたよね」
この記事を書いた人
流行通信社、ロッキング・オン社をへて、1990年に宝島社入社。Cutie編集長ののち1995年にsmartを創刊。2024年に退社し、現在はフリー。
Instagram:@htakada1961
Website:https://smartmag.jp/
お問い合わせ:smartofficial@takarajimasha.co.jp
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