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連載Back to 90s

「遊んでないけど、遊んでた」スチャダラパーBoseが語る、青春の裏原宿とあの日の「今夜はブギー・バック」

執筆者: 編集者・ライター/高田秀之

雑誌smartが創刊30周年を迎える2025年。そのアニバーサリーイヤー特別企画として、1990年代に数多くsmartの表紙を飾っていただいた方々に当時の話を伺う連載『Back to 90s』。第7回のゲストは、スチャダラパーのMCとして35 年にわたって日本の音楽シーンの最前線にいるBoseさん。原宿のファッション人脈との交流も多く、小沢健二とのコラボからお茶の間まで、幅広いレンジで活躍してきた彼の振り返る1990年代とは?

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「ブギー・バックは遊んでないよって歌詞だから(笑)」

1990年代に数多くsmartの表紙を飾っていただいた方々に当時の話を伺う連載『Back to 90s』の第7回ゲストはスチャダラパーのBoseさん

――デビュー(1990年)する前は、Boseさんはどんなところで遊んでたんですか?

Bose「世の中ではクラブが流行っていたけど、六本木にはそんなに行ってなくて、川辺ヒロシくんとか、知り合いがDJやっているところに入れてもらっていた感じ。下北(下北沢)のZOOはデビューする前からちょこちょこライブもやってたから、そういうところに遊びに行くくらいで、誰かの家でゲームやってるほうが多かった」

――その頃はまだ学生ですか?

Bose「もう卒業はしてたかな。90年の5月にデビューで、その年の3月までは学校に行っていたから。当時、住んでいたのが上板橋で、都心のほうに出て行くのは少し大変だったから、ANIとかシンコとかタケイグッドマンとかの家に集まって、車があるときに乗っけてもらって、ちょっと行くぐらいの感じでしたかね。ピカソも知り合いがやるときにちょこっと行くぐらいで。GOLDは行ってたかな。ウチの社長がブッキングもやってたから。でも、それも(高木)完ちゃんがやるときか、ヒップホップ系の何かがあるときぐらいの感じ。それ以外は基本ハウスが多かったから、行ってもそんなに僕の好きな曲はかからないしね」

――確かに当時、ヒップホップ系のハコってあまりなかったかもしれません。

Bose「なかったですよね。川辺(ヒロシ)くんがミックスした曲の中に、レアグルーブやレゲエに混ざってヒップホップもある、ぐらいで。だから、川辺くんがやる青山のMIXはよく行ってたかな。まぁ、当時はそんなにお金もなかったですしね」

1990年代に数多くsmartの表紙を飾っていただいた方々に当時の話を伺う連載『Back to 90s』の第7回ゲストはスチャダラパーのBoseさん

――90年代って、クラブ文化が花開いた時代ですよね。

Bose「うん、でも細部を見ると遊んでいたところはみんな違ってましたよね。SLITSの本も出てるけど、僕らは決まった曜日にしか言ってないから、他の日の盛り上がりとかは全く知らなくて。小山田くんたちの日はすごい人だったって聞くだけで、実際に見たことはないんですよ。全然空いてた“スラムダンスディスコ”とか、そういう風景しか見なかった(笑)。六本木は盛り上がっていたとは聞くけど、そっちは本当に接点がなくて、ダンサーがいて、踊る人たちのところには行ってないですね。ラップは好きだけど、内向的というか、ちょっとオタク的だったので」

――デビューが電気グルーヴと同時期なんですよね。

Bose「同じソニーだから、一緒にイベントに呼ばれたりもしましたよ。初期は電気(グルーヴ)もラップっぽい感じもあったし。ま、引きでみれば一緒ですよ。のちにポンキッキーズで僕と(ピエール)瀧が一緒にやったりしたように、そこはもう混ざってきちゃう」

――お茶の間にすれば、一緒なんですかね。

Bose「僕と瀧が同じグループと思ってた人もいただろうし、実際、(石野)卓球より僕のほうが瀧と会ってた時期もありましたよ」

――ポンキッキーズが94年で、ブギー・バックと同じ年なんですが。

Bose「ブギー・バックが出る前にポンキッキーズはもう決まってたんですよ」

――じゃあ、その頃には認知度はだいぶ上がってたんですね。

Bose「どうだろう。ちょっとサブカルっぽくしたいからって、僕と瀧が呼ばれたから。僕のことをポンキッキーズで初めて見た人も多かったと思いますよ」

――その後『今夜はブギー・バック』がヒットして、“渋谷系”という言葉も生まれましたけど、当時は本人としてはどうだったんですか?

Bose「お客さんもライブにいっぱい来るから、もちろん嬉しい気持ちはあったけど、ちょっと戸惑いもありましたね。それまでぼくらのファンって、知り合いの知り合いくらいのイメージで、東京の専門学校に通ってますとか、そういう人たちが中心だったんだけど、地方の中学生が歌ってるところまでいっちゃったから。ブギー・バックって、みんなでクラブでワイワイしてる風の歌詞だから、今でもこういう取材で“その頃、どこで遊んでたんですか”って聞かれるんですけど。いや、遊んでないよって歌詞だから(笑)。遊んでないのに、遊んでる人のイメージになっちゃったんだよね」

この記事を書いた人

流行通信社、ロッキング・オン社をへて、1990年に宝島社入社。Cutie編集長ののち1995年にsmartを創刊。2024年に退社し、現在はフリー。

X:@hideyuki1961

Instagram:@htakada1961

Website:https://smartmag.jp/

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